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悪魔の囁き


 草木も眠る丑三つ時、とある館から少し離れた森を少女は駆けていた。
「ハァ、ハァ、ハァ、ハァ……、くっ」
 常に周囲を気にして、木々の影に隠れる。その姿はまるで狩人に追われる獲物のようである。
「ウフフ……どうして逃げるの、シルフィア……?」
 少女、シルフィアの後を追うのは髪の長い貴婦人。リゼッタ・カレードである。
 声を聞き、更に遠くへ逃げようとするシルフィア。だが、リゼッタがナイフを投げ動きを封じる。
「っ……!」
 太股に走る燃えるような痛み。ナイフは太股に根元まで突き刺さり、動かす度に傷口を抉る。
「このっ……がぁっ!」
 シルフィアは両手で乱暴にナイフを引き抜く。傷口から血が止めどなく溢れるが、シルフィアに気にしている余裕は無い。
「シルフィア……貴女さっきから変よ? どうして私から逃げるの?ふふふっ……」
 リゼッタは逃げるシルフィアを追いかけると言うより、弱い獲物を嬲るようにゆっくりと少しずつ距離を狭めていくだけだ。
(一体何が起こっているの……? どうしてお母様はあんな……)
 事の発端を思い返そうとするも、シルフィアの頬にナイフが掠る。
「ウフフ……抵抗しないのなら、もうお遊びはここでオシマイね……」
 一つの遊びに飽きた子供のように、リゼッタはそう告げる。
「どうして……どうしてあんな事をするの、お母様っ!? ついさっきまであんなに優しかったのに……どうしてっ!」
 シルフィアは振り返り、思いの丈をぶつける。普段感情的にならない彼女を知る者はさぞ驚いただろう。
「どうして……ですって? フフフフフ……ハハハハ……アハハハハハハ!!」
 リゼッタも、普段の落ち着いた雰囲気からは想像できない程の笑い声……否、狂笑を上げた。
「決まってるじゃないっ! 憎いからよっ! そう! 憎いのよっ! ただの町娘から歴史の短いとはいえ貴族へと嫁いだ事で、私は常に針の筵よっ! 分かる!? 元から貴族のシルフィアには分からないでしょうねっ! 親族は会う度に白い目で見られるっ! 更に子も産めない体っ! そんな私が毎日どんな気持ちで過ごしていたか……!」
 堰を切ったように苦悩を吐き出すリゼッタの手に新たなナイフが握られていた。
「貴女には分からないでしょうっ!!」
「くっ……!」
 一度に5本のナイフが放たれる。シルフィアは辛うじて避けるが、体の所々をナイフが掠めていく。
(これ以上の説得は無理か……? 何とかして無力化出来れば……)
 シルフィアは森の中を逃げ回るも、木の根に足を取られてしまう。
「っ! くっ、このっ!」
 足が木の根に挟まり思うように抜けない。また、時間が時間と言う事もあり視界は悪い。
「何でこんな……!」
 太股から抜き取ったナイフで木の根を切り取ろうとするが、少女の力で切れる程根は細くない。
「ぐぅっ……!」
 更に、焦る気持ちからか手元が狂い自らの足を傷つけてしまう。
「アハハ……。シルフィアったらもう諦めたのかしらぁ? もう少し遊びたかったのだけどねぇ?」
 すぐ近くからリゼッタの声がする。急いで抜けだそうと足を動かす。途端、足に走る激痛。どうやら木の根に足を取られた時に捻挫したようだった。
 痛みを堪え、強引に足を抜いたシルフィアは這うように駆け出す。
「やるしか……無いのか……!?」
 一歩進むたびに足に激痛が走り意識が飛びそうになる。だが、ここで意識を手放せばもう二度と戻ってこれない。そう理解しているからこそ、シルフィアは走り続けた。
(ククク……無様だなぁ、オイ?)
 シルフィアの頭に卑下た笑い声が聞こえる。
「五月蝿いわね。だからと言って、お母様に手を上げる訳にはいかないじゃない!」
(ゲハハハ! いいねぇいいねぇ! 命の危機ですら相手の事ってかぁ! 甘ったれんじゃねぇよクソアマがっ!)
「なっ」
(確かに頭はイイんだろーが、堅物にも程があるってんだよ! いいか? お前は今殺されようとしてんだよっ! そんな事ぐらいわかんだろぉ? あぁっ? だったら殺られる前に殺っちまえってんだよ!)
「お母様にそんな事は出来ないっ!」
(ヴァーカ! ありゃもうテメェの母親でも何でもねぇ! お前を殺す障害だってんだよ!)
「しょう……がい……」
(そうだ障害だ。ならわかんだろぉ? 障害は排除しねーとよぉ? ま、こんなボロボロになっちゃ逆転なんざ無理だろーがよ。ケケケッ!)
 シルフィアの体内に宿る悪魔が囁く。それは確かに今現在のシルフィアが生き残る唯一の方法でもあるからだ。
「違うっ! お母様を元に戻せば……戻せばまた、いつも通りの日々が……」
 悪魔の囁きを受け入れそうになる心を必死に否定するシルフィア。自身に宿る悪魔との口論は平行線を辿り……。
「なっ、しまっ……!」
 気が付くと崖の手前まで来てしまっていた。
「ウフフ……。鬼ごっこはもうお終いね?」
 リゼッタが幽鬼のように森から出てくる。月光に照らされたその顔は仮面に覆われているのだが、シルフィアにはそれが見えない。
「くっ……。こうなったら……動けなくなる程度にして……」
(ばっか、そんなんじゃ意味ねーってよ! 殺っちまえよ一思いにサクっとよぉっ!)
 悪魔の警告を無視し、シルフィアは腹をくくる。
「クスクス……やっと私と遊んでくれるのねぇ!」
「お母様……。私が、お母様を元に戻します……!」
 言葉を交わし終えると同時に、リゼッタはナイフを、シルフィアは黒炎を放つ。
「くっ!」
 ナイフはシルフィアの肩に突き刺さり、黒炎はリゼッタを包みこむ。
「ぬるいわぁ。こんなのじゃお風呂の方がもっと熱いわよぉ?」
 黒炎に包まれながらもリゼッタはナイフを投げ続ける。
「はぁっ!」
 シルフィアは手にしたナイフでそれを弾くも、捌き切れなかったナイフが体を突き刺す。
 すかさずデモンフレイムを展開しようとするが、黒炎は一度収束し、次の瞬間霧散した。
「なっ!?」
(ギャハハハハ! ちゃんと最後まで集中しろってーの! 只でさえ出力低いってのによー!)
 悪魔の笑い声が聞こえる。きっと体があれば腹を抱えて笑い転げていただろう。
「もう一度……!」
 リゼッタのナイフをかわしつつ、詠唱を続けるシルフィア。黒炎は先程より小さいが、数は一つ増えていた。
「よしっ!」
 二つの黒炎をリゼッタへ向けて放つ。
「このくらいなら丁度いい火加減ねぇ!」
 十分避けることが可能だったそれを敢えて受けるリゼッタ。その表情は余裕の笑みがありありと浮かんでいた。
「くっ、舐めるなっ!」
 シルフィアの眼の色が変わる。普段の青い瞳から血のような赤い瞳へと。
「もう、お母様は元に戻らないというのならっ! ならばせめて、私が終わらせるっ! これ以上、『悲劇の結末』を紡がない為にもっ!」
 シルフィアの目の前に展開された魔法陣は今までの黒炎召喚とは段違いの大きさだった。
「クスクス……貴女如きにそれが出来て?」
 リゼッタは尚も余裕を崩さない。それがリゼッタの誤りでもあった。
「数多の闇――其は咎の牙となり、煉獄に此の身を捧げ、その身を焼き尽くす儀式とならん」
 リゼッタは数多のナイフを投擲する。それを致命傷となるだけ回避し、シルフィアは詠唱を続ける。
「劫火は凶弾となり、汝の普し愚考を燃やし尽くす。双魔を継ぐ者、シルフィアの名に於いて、この世に刃向かいし者を浄化せよ!」
 詠唱を終えると同時に、目の前に展開されるは巨大な黒炎。それも今までの弱い出力ではなく、夜の闇より更に深い漆黒を湛えていた。。
「はぁぁぁぁぁっ!」
 巨大な黒炎を叩きつけるようにリゼッタへ放つシルフィア。最早それは壁が迫ってくるような大きさで、リゼッタはどう動いても回避は不可能であった。
「ぐうぅっ……こ、こんなものっ!」
 ギガントフレイムの直撃を受けても、リゼッタは立っていた。
「っあ……はぁ、中々やるじゃ……っ!?」
 リゼッタがナイフを投擲しようと前を向くが、そこにシルフィアは居なかった。
「ど、がぁっ!?」
 周囲を見渡そうとした瞬間、背後からの一撃を受けるリゼッタ。勿論、シルフィアだ。
「……今、楽にしてあげるわ……。お母様」
 小さく呟いたそれは、果たしてリゼッタに聞こえたのだろうか。
 ナイフはリゼッタの肋骨の隙間から心臓を突き刺していた。時間を掛けた大技。しかしそれは、シルフィアが背後に回り込む為の囮でもあった。
 リゼッタはそのまま崩れ落ち、同時に仮面も砕け散った。最も、シルフィアに仮面を見ることは出来ないのだが。
「……お母様」
(ヒャーッヒャッヒャッヒャ! オイオイオイオイ! ついに殺っちまったかぁ!? アレほど殺らねぇ殺らねぇって言ってたのによぉ! キャハハハハ!)
 悪魔が面白そうに笑う。だが、シルフィアはそれに反応する余裕は無い。
「お母様……お母様! お母様! お母様!!」
 既に事切れた体を何度も何度も揺するシルフィア。背中から溢れる血は辺りを赤一面に染め上げる。
「お母様……! 目を開けて下さい! お母様ぁっ!」
 既に冷たくなったリゼッタに何度も声を掛ける。
(おーい、聞こえてるー? もう死んじまってんだよー?)
 見かねた悪魔が声をかける。
「ねぇっ! どうにか……どうにかならないのっ!? お母様が……お母様が死んじゃうよぉっ!」
 半狂乱になり泣き叫ぶシルフィア。
(あー、んーっとだ、無い訳じゃねーんだがな?)
「なら早くっ! 何でもいいからお母様を助けてぇっ!」
(何でもいい、ねぇ。その女が生き返って、今まで通りの行動をしてりゃお前は満足か?)
 悪魔は今までにない真剣な声音で尋ねる。
「それでもいいのっ! お母様が……お母様が戻ってくればそれでいいのっ! その為なら私の全てを捧げても……っ!」
(よーしオーケーオーケー。契約成立っと)
「えっ……?」
(俺はこの女を生き返らせる。お前は『お前の感情と想い全て』を失う。これでどーよ?)
「それくらい……それくらいで済むなら何でもいいっ! だから早くっ!」
 直後、シルフィアは意識を失う。

「ん……?」
 次にシルフィアが目を覚ましたのは自分の部屋。体中には包帯が巻かれており、体を動かすたびに関節が痛みを訴える。
「え……あれ……?」
 ベッドを見ると、横で母、リゼッタは眠っていた。
「……え?」
 体の傷はリゼッタとの死闘があったことを証明している。だが、そのリゼッタはシルフィアのベッドの横で寝息を立てていた。
「どういう……こと?」
「ん……んぅ……」
 混乱するシルフィア。その声で起こしてしまったのか、リゼッタが起きる。
「あら、シルフィア起きたのね。具合はどう?」
 リゼッタは何時ものように優しく語りかける。死闘の時の狂気がまるで嘘のように。
「え……? あれ? 私は……お母様と戦いを……?」
 益々混乱するシルフィア。そこに聞き覚えのある声が聞こえた。
「んだよまだ理解してねーのか。感情と一緒に考えるアタマまで消えちまったかぁ?」
「……え?」
 声はリゼッタから発せられている。
 尚も混乱するシルフィアを尻目に悪魔は喋り続ける。
 どうやら、悪魔はシルフィアの体内から出てリゼッタに宿った。そして、リゼッタのそれまでの記憶を元に『今まで通りのリゼッタ』を演じていると言う。
 更に、シルフィアからは感情や想い、魔力も奪っていったそうだ。最も、悪魔を体内に吸収……デモニスタとなった時に増加した分だけだそうだが。元より魔力の少ないシルフィアの魔力は、干上がる寸前となっていた。
「とまぁ、こんな所か。おっと、それと俺様が居られるのは精々3カ月って所だ。この女、術士としての素質も何もねーのよ」
 一時的な蘇生。それも、リゼッタという殻だけで中身は別物という紛い物。それでもシルフィアは喜びを感じる……筈だった。
「……」
 嬉しいと頭では分かっていても、感情は何一つ沸かない。それを見た悪魔はニヤニヤと笑みを浮かべた。
「クックック……感情が無いってのはどんな気分よー?」
「……何も、感じ無い」
「そりゃオメー、ヒトとして大事なモンを無くしてっからなー。悪魔との契約ってのはこえーもんよ」
「……でも、これでお父様は悲しまずに済む」
「とことん優しいねぇ! ま、俺様が居なくなればすぐにバレるんだけどねーん」
 悪魔はおどけた口調で言う。だが、結果的に悪魔の契約によりシルフィアの望みは叶えられた。
「……そういう貴方も優しいわね。こうして願いを叶えてくれたんだから」
 期限付きとは言え、シルフィアは悪魔との契約に感謝する。
 その後に起きる問題を先送りにしたまま。