杏林製薬
本店:東京都千代田区神田駿河台二丁目5番地

【商号履歴】
杏林製薬株式会社(1940年12月~)

【株式上場履歴】
<東証1部>2000年3月1日~2006年3月6日(株式会社キョーリンと株式交換)
<東証2部>1999年4月8日~2000年2月29日(1部に指定替え)

【合併履歴】
2008年10月1日 日清キョーリン製薬株式会社
1994年10月 日 株式会社杏栄ビル
1992年10月 日 杏林薬品株式会社

【沿革】
大正12年12月 荻原 廣が東京市大森区(現 東京都大田区)に東洋新薬社を創立、医薬品の製造販売を開始
昭和6年6月 東京市神田区(現 東京都千代田区)に合資会社杏林化学研究所を設立
昭和15年12月 株式会社に改組、商号を杏林製薬株式会社とすると共に販売部門を分離・独立し、杏林薬品株式会社を設立
昭和21年11月 岡谷工場設置(長野県)
昭和26年6月 東京工場設置(東京都北区)
昭和26年9月 東京都中央区日本橋に本社移転
昭和34年5月 株式会社杏文堂(現 連結子会社)を設立
昭和37年5月 杏林化学研究所設置(東京都北区、昭和54年4月 開発技術センターに改称)
昭和40年4月 東京都千代田区神田駿河台に現在の本社を新築移転
昭和42年11月 野木工場設置(栃木県)
昭和47年3月 生産技術センター設置(栃木県、昭和60年4月 製剤技術センターに改称)
昭和49年6月 台湾杏林製薬股份有限公司に事業参加
昭和52年4月 中央研究所設置(栃木県、平成13年4月 創薬研究所に改称)
昭和60年11月 合成技術センター設置(長野県)
昭和62年9月 東京工場を野木工場に集約、統合
平成4年9月 野木物流センター設置(栃木県)
平成4年10月 杏林薬品株式会社と合併
平成4年12月 合成研究センター設置(栃木県)
平成6年5月 株式会社杏文堂(現 連結子会社)の株式を100%取得
平成6年10月 株式会社杏栄ビルと合併
平成6年12月 安全性技術センター設置(栃木県)
平成7年4月 開発技術センター、製剤技術センター、合成研究センター、安全性技術センターを統合し研究センターに改称
平成7年10月 能代工場設置(秋田県)
平成7年11月 福岡配送センター設置(福岡県)
平成8年4月 日清製粉株式会社、日清製薬株式会社との合弁事業契約に基づき、平成8年3月に日清製薬株式会社へ資本参加を行い、日清製薬株式会社の社名を日清キョーリン製薬株式会社へ変更
平成10年9月 P&G(プロクターアンドギャンブル)グループより、日本における哺乳ビン・乳首の消毒薬「ミルトン」の商標権・営業権、製造設備及び販売権を譲受
平成10年10月 台湾杏林製薬股份有限公司への事業参加を解消し、ライセンスベースへ移行
平成11年4月 東京証券取引所市場第二部上場
平成12年3月 東京証券取引所市場第一部に指定
平成12年6月 株式会社ビストナー(現 連結子会社)を設立
平成12年8月 米国にKyorin USA,Inc.(現 連結子会社)を設立
平成14年2月 ドイツにKyorin Europe GmbH(現 連結子会社)を設立
平成16年12月 米国においてActivX Biosciences,Inc.(現 連結子会社)を子会社化
平成17年5月 東洋ファルマー株式会社の株式を71.7%取得
平成17年6月 ドクタープログラム株式会社を100%子会社化
平成17年11月 東洋ファルマー株式会社の株式を追加取得し、84.3%取得
平成17年11月 株式交換により当社が株式会社APRI(現 株式会社キョーリン)の完全子会社とする株式交換契約を締結
平成18年3月 株式会社キョーリンと株式交換
平成18年3月 東京証券取引所市場第一部上場廃止

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最終更新:2010年07月06日 03:48