※上記の広告は60日以上更新のないWIKIに表示されています。更新することで広告が下部へ移動します。

フォルクスワーゲン
本店:ドイツ連邦共和国 ヴォルフスブルク38440 ベルリーナー・リンク2

【商号履歴】
フォルクスワーゲン・アクチエンゲゼルシャフト

【沿革】
フォルクスワーゲン・アクチエンゲゼルシャフトは、1937年にベルリンで設立された「ゲゼルシャフト・ツール・フォルベライツンク・デス・ドイチェン・フォルクスワーゲンスmbH」にさかのぼる。同社は、1938年に商号を変更し、「フォルクスワーゲンヴェルクGmbH」とした。当社の法的地位及び所有権はドイツ連邦共和国とニーダー・ザクセン州との間の1959年11月11日-12日付の合意、並びに1960年5月9日付のフォルクスワーゲンヴェルクGmbHの法的地位の制限に関する法、1960年7月21日付のフォルクスワーゲンヴェルク法により変更された。
1960年8月22日 株式会社への組織変更はヴォルフスブルク地方裁判所の商業登記簿に登記された。当社は1985年7月4日の年次総会の決議により、その商号を変更し、フォルクスワーゲン・アクチエンゲゼルシャフトとした。当社は商業登記簿HRB1200に登記されている。
1952年 販売会社として、フォルクスワーゲン・オブ・カナダ・インクが設立された。
1953年 組み立て子会社として、フォルクスワーゲン・ド・ブラジルが設立された。
1955年 フォルクスワーゲン社の100万台目の車が生産された。フォルクスワーゲン・オブ・アメリカ・インクが設立された。
1965年 ダイムラー・ベンツ社からオート・ユニオンGmbHを買収した。
1970年 ドイツ最大のレンタ・カー会社、ゼルプストファーラー・ユニオン社を、フォルクスワーゲンヴェルクが買収した。
1976年 初めてフォルクスワーゲンのディーゼル・エンジン搭載の自動車、ゴルフがトラバース機構のエンジンを据付けて生産された。フォルクスワーゲンは、世界で最初の大衆向けディーゼル・エンジンのサロン・カーを大量生産したメーカーとなった。3,000万台目の車が生産された。
1981年 日本のメーカー、日産が日本で、フォルクスワーゲンのモデル車、サンタナの生産を行うために、同社と契約を締結した。
1986年 スペインの自動車メーカー、セアトを買収した。同社は1983年の合弁契約によりフォルクスワーゲンのモデル車を生産してきた。アルゼンチン及びブラジルでフォード社と合弁契約を締結し、アウトラティーナを設立した。
1987年 5,000万台目の車が生産された。
1988年 創立50周年。フォルクスワーゲン・ゴルフの1,000万台目の車がヴォルフスブルク工場で生産された。
1989年 競争力のある自動車を東ドイツで開発・生産・販売する準備を目的としたジョイント・プランニング・ベンチャーとして、IFAとの契約が調印された。ヴォルフスブルクの生産ラインで、第2,500万台目のフォルクスワーゲン車が完成した。
1990年 9月26日、旧東独モーゼルの新しい自動車製造工場の定礎式が行われた(1994年には年産25万台を予定)。フォルクスワーゲン グループの年間自動車販売台数が初めて300万台を上回った。
1991年 フォルクスワーゲン社はシュコダ・アウトモビローバa.s.の持ち分の31%を取得し、経営責任を引き受けることになった。フォルクスワーゲン グループの歴史上、最も大規模な投資が主として新車種(ゴルフⅢ、ヴェント、アウディ・コンバーティブル、アウディ80及びセアト・トレド)とより効果的な生産組織の確立に向けられた。当グループの新たな内部組織が、フォルクスワーゲンAG、アウディ、セアト及びシュコダの各社により構成され、主要な戦略の決定を容易に行えるようになった。
1992年 世界の主要な自動車市場における景気後退にもかかわらず、フォルクスワーゲン グループは350万台という新たな生産台数の記録を達成した。フォルクスワーゲン社は英国における当グループ車の販売を1993年1月1日付でロンローPlc社から引き継いだ。新しいプロジェクトとしては、ポルトガルにおいてフォード・モーター社との合弁企業アウトエウローパ社(50/50の合弁会社)がセミワンボックス型乗用車工場の建設を開始しており、また台湾において慶豊投資股份有限公司と協力してトランスポーター生産工場を新設する。
1993年 フォルクスワーゲンAG取締役会会長、カール・H・ハーン博士(政治経済学博士)は1992年12月31日付で取締役会を退いた。ハーン博士は1982年1月から取締役会会長を務められ、その後の11年間でフォルクスワーゲンAGをヨーロッパ第一の自動車製造会社へと成長させるために尽力した。またハーン博士は当グループのグローバル化をも強力に推し進め、将来を見据えて当グループが針路を定めていくために大きな役割を果たした。1992年後半に主要な自動車市場で表れ始めた下降傾向は1993年も続き、この年フォルクスワーゲン グループが世界中の顧客に販売した乗用車と商用車の総数は311万4,880台で、前年の数字に比べて11.4%の減少であった。当グループの全世界での生産台数は、結果的に13.7%減の301万8,650台であり、このうちフォルクスワーゲンAGによって生産されたのは、124万124台(前年比25.2%減)であった。
1994年 主要自動車市場では景気がやや上向き、フォルクスワーゲン グループの乗用車と商用車の納車台数は、世界中を合わせて6.4%増の329万4,619台に伸びた。フォルクスワーゲン グループは前年より販売状況が改善されたことを受けて、1994年度生産台数を徐々に伸ばした。その結果、全世界での生産台数は0.8%伸びて304万2,383台となった。需要に合わせたこのうち124万6,392台はフォルクスワーゲンAGが生産した(前年比0.5%増)。フォルクスワーゲンAGでは約3万人の余剰人員。まず1994年と1995年に週休3日制(週28.8時間制)が導入されることとなった。
1995年 フォルクスワーゲン グループは当期、世界中で合計356万7,259台の乗用車と商用車を納車した。これは、全体的な需要の低迷、世界レベルでの生産過剰及び価格競争といった国際的背景にもかかわらず、前年度に対して8.2%の増加であった。ブランド毎の納車台数は、フォルクスワーゲンが230万9,839台(9.0%増)、フォルクスワーゲン商用車が27万3,839台(0.9%減)、アウディが44万8,518台(19.2%増)、セアトが32万5,656台(4.1%減)、シュコダが20万9,591台(14.1%増)であった。
1996年 1996年、フォルクスワーゲン グループが納車した自動車台数は対前年比で11.4%の伸びを示し、合計で396万5,950台であった。この伸びは全生産ラインにわたって見られ、その内訳はフォルクスワーゲン286万8,321台(11.3%増(対前年度比、以下同じ。))、アウディ49万2,046台(9.9%増)、アセト34万4,216台(5.7%増)、シュコダ26万1,067台(24.6%増)であった。成長を続ける西ヨーロッパ市場全体において、当グループは乗用車市場の17.2%(前年度は16.8%)を占める235万6,453台(9.7%増)を販売し、業界の主導的地位をさらに確実なものとした。1996年度、フォルクスワーゲン グループは、北アメリカ地域での販売を19.4%伸ばして総数24万1,901台とし、同地での地位の向上にも成功した。南アメリカ/アフリカ地域で顧客に納車した自動車の台数は75万7,541台(6.1%増)であった。アジア太平洋地域では、売上全体で13.3%の伸びを記録し、33万4,884台の販売を達成した。1996年度のフォルクスワーゲン グループの研究開発費用は40億ドイツ・マルク(17.6%増)であった。研究開発は、将来における当社の安定した発展の鍵となる分野である。堅調な販売に支えられ、全世界での製造台数は10.6%増加して397万6,896台となった。
1997年 当期、フォルクスワーゲン グループの納車台数は425万7,365台であった。この結果は前年を7.3%上回ったことになる。この好業績にはすべてのラインアップモデルが寄与しているが、その内訳は、フォルクスワーゲン車が297万1,823台(+3.6%)、アウディ車が54万6,436台(+11.1%)、セアト車が40万2,772台(+17.0%)、シュコダ車が33万6,334台(+28.8%)となっている。総販売台数に占める国外販売の割合は前年の75.6%から76.4%に伸びた。アジア・パシフィック地域におけるフォルクスワーゲン グループの販売台数は、前年度を10.9%上回って合計で371,480台であった。
1998年 フォルクスワーゲンは当期、世界市場に向けて458万2,132台を納車した。これは過去最高の販売記録である。市場全体が縮小する中、フォルクスワーゲンは7.5%の成長を果たし、乗用車の世界市場における占有率を10.4%から11.5%に拡大した。販売台数の内訳はフォルクスワーゲン・モデルが318万6,633台(+7.1%)、アウディが59万9,509台(+9.7%)、セアトが43万1,550台(+7.2%)、シュコダが36万3,500台(+8.1%)となっている。またロールス ロイスとベントレーが7月4日以降、940台販売された。グループ各社がドイツ国外で販売した割合は、前年の76.4%から75.9%に減少した。
1999年 全世界において、合計4,869,203台の自動車を販売し、フォルクスワーゲン グループは1999年に新たな売上記録を作った。9月には、グループは総計1億台を生産したヨーロッパ一の生産業者となった。
2000年 フォルクスワーゲン グループは、これまで継続的にモデルレンジの拡充に取り組んできたが、当期はその成果が実り、はじめて販売台数が500万台の大台に乗った。2000年3月27日、フォルクスワーゲンAGはスウェーデンの商用車メーカーであるスカニアAB株の18.7%の取得に関しインベスターABと契約を締結し、スカニアABの議決権の34.0%を保有することとなった。これにより、フォルクスワーゲンは商用車部門を強化し、かつ大型トラック市場への足掛かりを得ようとしている。2000年6月1日、ヴォルフスブルクにオープンしたアウトシュタットは、顧客に対するサービスをこれまでにはなかった新鮮な形で提供していこうとするフォルクスワーゲンを明確に印象づけるものである。
2001年 508万3,547台という全世界での顧客への販売台数は、すでに高水準であった前年度を上回った。モデルレンジを継続的に改善、リニューアル、拡充したことが奏功し、フォルクスワーゲン グループは全世界的に悪化する自動車市場でのシェアを12.2%から12.4%に伸ばすことができた。
2002年 やや持ち直した世界市場において、フォルクスワーゲン グループは498万4,030台を顧客に販売したが、これは2001年の水準をわずかに下回った(-1.9%)。全世界での乗用車新車登録台数に占める当グループのシェアはやや低下して12.1(前年12.4)%となった。フォルクスワーゲン グループは、当社の歴史において2番目の好業績となる39億8,600万ユーロ(-9.6%)の税引前利益を達成した。2002年11月、フォルクスワーゲンAGは、フォルクスワーゲン グループの株主の信頼及び信用を深めるため、「ドイツ・コーポレート・ガバナンス・コード」の勧告に関してコンプライアンス宣言を発表した。
2003年 フォルクスワーゲン グループは全世界で前年比0.6%増の501万4,911台を出荷した。2003年7月30日、約70年間の生産を経て、最後のビートルがメキシコ、プエブラのフォルクスワーゲン・デ・メヒコの組立ラインから送り出された。2003年8月25日、ゴルフの第5世代がヴォルフスブルクにおいて初公開され、記念式典が行われた。
2004年 フォルクスワーゲン グループは、主要市場での販売不振にも関わらず、全世界において前年比1.3%増の510万台を顧客へ出荷することができた。そして西ヨーロッパ、ドイツ、中国において、マーケットリーダーの地位を堅持することができた。全世界での新車登録台数に占める当グループのシェアは、やや減少して11.5%(前年12.1%)となった。導入されたForMotion プログラムは2004年だけで業績に16億ユーロの貢献をした。
2005年 とりわけ米国及び中国における困難な市況にもかかわらず、フォルクスワーゲン グループは過去最高の販売業績を記録し、顧客への出荷台数合計は5,242,793台(+3.2%)に達した。当グループは、特に西ヨーロッパ及びドイツにおいて、マーケット・リーダーの地位をさらに拡大することができた。2005年度の目標は、ForMotion政策を通して当グループ利益を31億ユーロ増加させることであったが、当グループは35億ユーロの増益によりこの目標を大幅に上回ることができた。
2006年 世界経済の成長と世界自動車市場における好況は2006年も続いた。魅力的なニューモデルが奏功し、フォルクスワーゲン グループは、この好調な市場動向の恩恵を受けることができた。当期、フォルクスワーゲン グループは、顧客への出荷台数を9.4%増やし、過去最高の5,733,600台を達成した。全世界の乗用車新車登録台数における当グループのシェアは、9.7%(前年度:9.1%)へと僅かに増加した。
2006年3月15日、フォルクスワーゲンAGの監督取締役会は、完全子会社ユーロップカーをフランスの投資グループ、ユーラゼオに売却することを承認した。2006年5月31日、ユーロップカー・インターナショナルS.A.S.U.のユーラゼオ・グループへの売却は完了した。
2006年 フォルクスワーゲンAGは、2006年度中にミュンヘン所在のMAN AGの株式を取得した。この投資により、当社の商用車事業における長期的利益を確保することができ、共同開発するソリューションを強化することにより相乗効果を最大化することが可能である。フォルクスワーゲン グループは、当期も引続き財務状態を改善し、18億ユーロの継続事業による税引前利益を記録した。これはとりわけ、収益拡大プログラムForMotionプラスの組織的実施に起因している。