※上記の広告は60日以上更新のないWIKIに表示されています。更新することで広告が下部へ移動します。

ザ・ボーイング・カンパニー
本店:アメリカ合衆国60606-1596 イリノイ州シカゴ ノース・リバーサイド・プラザ100

【商号履歴】
ザ・ボーイング・カンパニー

【沿革】
ウィリアム・E・ボーイングは、その最初の航空機会社であるパシフィック・エアロ・プロダクツ・カンパニーを1916年7月15日にワシントン州に設立した。パシフィック・エアロ・プロダクツがその後合併することになる現在の会社は、ボーイング・エアプレーン・カンパニーとして1934年7月19日にデラウェア州法に基づいて設立された。1961年、同社の名称はザ・ボーイング・カンパニーに変更された。ザ・ボーイング・カンパニーは、献身的な従業員に支えられ、航空宇宙関連の製品およびサービスの提供に関して輝かしい歴史をたどってきた。当社は最初、第1次世界大戦に使用される練習機の製作を行った。ボーイングの航空機が重要になる前に戦争は終了したが、1920年代には当社は米国陸軍および海軍の戦闘機の主要な製作会社の1社になった。ザ・ボーイング・カンパニーは、第2次世界大戦のB-17型およびその他の爆撃機、ジェット・エンジン搭載のB-47型機およびB-52型機、KC-135型空中給油機、E-3 AWACS空中警戒管制システム、E-6およびE-4連絡機、ミニットマン大陸間弾道弾システム、アベンジャー地対空ミサイル、短距離攻撃ミサイル(「SRAM」)および空中発射巡航ミサイル(「ALCM」)を生産した。また当社は、海軍艦隊のA-6航空母艦を基地とした、新型主翼を装備した攻撃機の一部を提供した。ボーイングはB-1 B爆撃機プログラム(アビオニクス)の共同請負業者であり、またB-2ステルス爆撃機プログラムの主要下請業者であった。1916年当初の従業員数は24名であり、従業員は床面積20,000平方フィートの建物で製作に従事した。最低賃金は1時間当り14セントだったが、当社のテスト・パイロットは1時間当り1ドルを支払われた。これに対し、2006年12月31日時点では、当社の従業員数はおよそ154,000人となり、また主要な社有設備およびリース設備には床面積約72百万平方フィートおよび15百万平方フィートの屋根付建造物が含まれている。

当社は、以下の所在地に主要な事業設備を置いている。
  • 民間航空機‐ワシントン州シアトルおよびその周辺地域、カリフォルニア州ロングビーチ
  • 統合防衛システムズ‐カリフォルニア州ロサンゼルスおよびその周辺地域、ワシントン州シアトルおよびその周辺地域、ミズーリ州セントルイスおよびその周辺地域、ペンシルバニア州フィラデルフィア、テキサス州サンアントニオ、アラバマ州ハンツビル、アリゾナ州メサ、カンザス州ウィチタ、テキサス州ヒューストン、ワシントンDCおよびその周辺地域
  • その他‐イリノイ州シカゴカリフォルニア州アーヴィンおよびワシントン州シアトルおよびその周辺地域

1996年12月に、ボーイングはロックウェル・インターナショナル・コーポレーションから航空宇宙・防衛事業を買収した際に、より多角的な航空宇宙会社となるべく、その変容を開始した。翌年の1997年8月には、ボーイングはマクドネル・ダグラス・コーポレーションを買収した。これらの主要な買収を通じて、ボーイングは軍用機、ミサイル・システムおよび宇宙関連市場を拡大し、また民間航空機事業を拡張した。2000年に、ボーイングはヒューズの宇宙および通信事業、ジェプセン・サンダーソン・インク、オートメトリック・インク、エアロインフォ・システムズ・インク、コンチネンタル・グラフィクス・コープ、SVSインクおよびホーカー・デ・ハヴィラントを買収した。これらの買収により、宇宙通信関連プログラム(現在は統合防衛システムズの一部。)および民間分野の支援サービスにおいて大規模かつ多様な一連のプログラムが開始された。2001年に、当社は世界市場へのアクセスが容易な多角的航空宇宙会社としてよりよい位地を占めるために、その本社オフィスをイリノイ州シカゴに移転した。当社は、当社が提供する製品およびサービスに基づいて組織されている。この組織構造においては、当社は民間航空機、プレシジョン・エンゲージメントおよびモビリティー・システムズ(「PE&MS」)、ネットワークおよびスペース・システムズ、サポート・システムズ(総称して、統合防衛システムズ(「IDS」)という。)(2002年に軍用機・ミサイル・システムズ事業および宇宙・通信事業が統合された。)ならびにボーイング・キャピタル・コーポレーション(「BCC」)の5つの主要セグメントで運営されている。今日就航しているボーイングの民間ジェット機には、707型、717型、727型、737型、747型、757型、767型、777型、MD-80型、MD-90型およびMD-11型があるが、MD-80型、MD-90型、MD-11型、707型、717型、727型、737従来型および757型は既に民間用としては生産されていない。2006年12月31日に終了した年度に当社は398機のジェット輸送機を納入した。717型機の最終機は、2006年第2四半期に納入された。IDS事業は、2006年度におけるIDSの利益に寄与した幾つかの主要なプログラムで構成されている。かかるプログラムには、C-17グローブマスター、プロプリエタリー、未来型戦闘システム、F/A-18E/Fスーパーホーネット、地上配備型ミッドコース防衛、F-22ラプター、F-15イーグル、AH-64アパッチ、スペース・シャトルおよび国際宇宙ステーション支援における商業衛星複合プログラム、ならびにいくつかの航空宇宙支援プログラムが含まれる。IDS事業では、重要な開発努力が、地上配備型ミッドコース防衛計画、未来型戦闘システム、V-22オスプレー・ティルトローター航空機、F-22ラプター、空中早期警戒管制(「AEW&C」)プログラム、767型空中給油機、C-130アビオニクス近代化プログラムおよび結合無人戦闘機システムを含む数多くのプログラムにおいて続けられている。ここで挙げられている防衛プログラムに加えて、統合防衛システムズは、宇宙探査のためのビジョンがさらに明示され、遂行される時にも米国の宇宙開発計画の主要な参加企業であり続ける。当社の宇宙開発計画における強固な歴史は、例えば乗員輸送用小型宇宙船などの未来の試みにおいて役に立つ知識と技術の遺産を生み出す。主としてボーイング・キャピタル・コーポレーション(「BCC」)の事業で構成される顧客・商業融資部門は、主に民間航空機の顧客に対する選り抜かれたファイナンシング・ソリューションの提供に従事している。

日本における活動

背景

ザ・ボーイング・カンパニー(マクドネル・ダグラス・コーポレーション、ロックウェルの航空宇宙・防衛事業およびヒューズの宇宙・通信事業を含む。)は、長期にわたり日本と協力関係にある。日本との間で締結された契約はすべて競争可能な基準に準拠しており、日本の生産業者は極めて能率的に業務を遂行している。ボーイングとマクドネル・ダグラスの民間輸送機は、1930年代に日本の航空会社がDC-2型機およびDC-3型機を購入し、これらの生産に関するライセンス契約を締結して以来、日本の歴史の一部となっている。1954年には、昭和天皇と皇太后陛下良子さまが「東京の街」と名付けられたDC-6型機で始めての空の旅を楽しまれた。1959年に、川崎重工業が日本の防衛および民間市場向けのKV-107型ヘリコプターのライセンス生産を開始した。ボーイングの民間航空機と日本の航空機産業との協力は、三菱重工業が747型エンジン搭載可動装置を生産するための競争入札を獲得した1969年に始まった。日本に対する下請負契約は三菱重工業、川崎重工業および富士重工業が747型機の構造計画の後縁フラップおよび方向舵を製作した1970年代初期にかなり増大した。川崎重工業は1970年代後半に737型機のウィング・リブの供給契約を獲得した。1985年には、これらの重工業3社は747型機のフラップ、補助翼およびスポイラーの生産を開始した。川崎重工業は757型機のフラップを生産している。川崎重工業はボーイング・チヌークCH-47ヘリコプターおよび民間用ジェットホイルのライセンス生産も行っている。ロックウェル・エアロスペースもまた、1950年代初頭以来、日本との共同事業において長い歴史を有している。三菱重工業は1954年に、日本の防衛庁のためのノース・アメリカン・アビエイションF-86型ジェット戦闘機のライセンス生産を開始した。これが米国の軍事用ジェット戦闘機の最初のライセンス生産であった。1969年には、日米間の宇宙開発協力が開始され、この時、両政府は宇宙技術移転契約に調印した。その後の1970年に、日本の宇宙開発事業団(「NASDA」)が設立された。米国は、マクドネル・ダグラスおよびロックウェル(当時のノース・アメリカン・アビエイションのロケットダイン部門)を通じて、ソアー・クラスのロケットおよびエンジンを日本に移転することに同意した。日本側の主要な関係者は三菱重工業と三菱商事であった。これにより、宇宙輸送および推進技術の分野(現在のN&SS)において密接な提携関係が確立した。マクドネル・ダグラス・エアロスペースとロケットダインはいずれも、2005年第3四半期に発生したロケットダイン事業の売却前は、ザ・ボーイング・カンパニーの打上げおよび軌道上関連部門の一部であった。ボーイングは、日本の初期の宇宙計画の基盤構築と宇宙開発への参入に貢献した。767型機に関する合併事業の協議が、1972年に日本航空機製造業界との間で開始され、その結果かなりのマーケット・リスクと金融リスクを分担するプログラム参加者契約が日本(およびイタリア)と締結された。三菱重工業は後部胴体パネルを供給し、また川崎重工業は、前部および中央部胴体パネルを製造し、かつウィング・リブの製造を担当している。富士重工業は主翼・胴体複合整形板および着陸装置扉を生産している。日本輸出入銀行は、技術開発を目的として米国輸出入銀行と協力し、767型機の日本側担当分(767型の機体の15%)について積極的に融資を行っている。また日本の金融機関は販売融資において提供される援助により、航空機販売の重要な要素になっている。近年世界中で販売されたすべての民間ジェット機のかなりの部分が、日本の資本市場から何らかの金融援助を受けている。さらにこれらの資金源は資産ベースの資金調達テクニックに対する革新的なアプローチを示したものである。1991年5月にボーイングは日本航空機開発協会(「JADC」)との間で契約を締結した。同契約に従い日本の機体製造業者は、2クラス構成で375席から400席を有する新広胴型ツインジェット機である777型機のモデル機体の約20%を製造することになる。JADCは777型機の胴体パネルおよび扉、翼中央部分、翼から胴体部への整形板、主着陸装置扉およびウィング・インスパー・リブの製造の大半を行う三菱重工業、川崎重工業および富士重工業との契約を管理した。これは、機体の約15%の製造という767型機生産計画におけるシェアと比較して、三菱重工業、川崎重工業および富士重工業のシェアが増加することを示す。JADCとの契約および関連契約に基づき、JADC、三菱重工業、川崎重工業および富士重工業は、777型機生産計画の存続中は、非持分ベースでリスクを分担する「プログラム・パートナー」になっている。777型機の第1号機は1995年5月に納入された。

業界の協力

業界の協力については、85社を超える日本企業がボーイングの民間航空機の計画参加者、下請負業者または供給業者になっている。三菱重工業、川崎重工業および富士重工業は日本の3大航空宇宙会社である。これらの3社は1978年以来、767型機生産計画の計画参加者である。3社は胴体パネル、航空力学による整形板、着陸装備扉およびインスパー・リブ等の装備を供給しており、その総額は機体価格の約15%に相当する。3社すべてがボーイング777型ツインジェット機の設計および生産に関しても、プログラム・パートナーとして参加している。三菱重工業、川崎重工業および富士重工業はプログラム・パートナーとして、胴体パネルおよびドア、翼型、主翼-胴体間のフェアリングおよび翼内のスパー・リブを含む777型機の機体の20%を担当している。787型機生産計画の開発努力において、三菱重工業、川崎重工業および富士重工業は「技術開発パートナー」として重要な役割を果たした。この役割を果たす上で、上記各社は米国および日本において重要な技術研究開発業務および航空機設計業務を行っている。また、生産計画のライフサイクル生産チーム(「LCPT」)に参加する設計および製造エンジニアを有し、設計および製造の研究の支援を行った。この重要な「打上げ前」のリスクを分担する開発業務は、三菱重工業、川崎重工業および富士重工業による資金援助を受けている。これら各社は、787型機生産計画に関して機体価値の35%分の生産を担当することへの合意書に調印している。各社の担当分野には、主翼および中央翼のウィング・ボックス、主翼固定後縁、主脚格納部ならびに前胴部位の設計、構築、試験、証明が含まれることとなる。各社との787型機に関する最終契約は2005年5月に締結された。日本企業がボーイング民間航空機向けに供給する装備としては、他にギア・ボックス、後縁フラップ、化粧室、高度計、調理室、照明器具、作動装置、バルブおよびビデオ鑑賞装置がある。

ボーイングの民間航空機と顧客との関係

当社の日本との関係は、現在のように競争が激しい航空機市場の環境においてはとりわけ重要である。歴史的に日本は、米国外で最大のボーイング民間航空機の顧客国である。2006年度末までに、日本は当社の航空機を826機発注しており、そのうち621機が納入されている。株式会社日本航空(「JAL」)およびその子会社は米国外で最大の顧客のひとつであり、ボーイングの航空機を211機保有している。JALは747型機に関しては世界最大の顧客であり、2006年度末までに108機が発注された。JALはまた777型機も38機保有している。日本はまた、ボーイングの双通路型のジェット機に関して米国外で最大の顧客でもあり、2006年12月31日現在で382機が納入されている。これらのうち、83機のボーイング767型機を全日空(「ANA」)が保有しており、このモデルに関しては同社が世界で3番目の顧客であり、また、同社は米国外で最大の顧客となっている。ANAには2006年度末までに777型機が37機納入されている。ANAは787型機生産計画のローンチカスタマーであった。同社は787型機に関して50機の初回発注を行ったが、これはボーイングの新型民間ジェット機に対する初回注文としては史上最大の規模であった。2005年11月に日本貨物航空株式会社(「NCA」)は、ローンチカスタマーとして747型フレイターの最新派生型機である747-8F型機(確定8機およびオプション6機)を発注した。NCAは、現在、ボーイングの航空機のみ(747-200F型機および747-400F型機)を運航している。現在の市況展望におけるボーイングの予想では、今後20年の間に日本の民間航空機市場は約1,110機を擁し、同期間中に民間輸送機に関する最も大きな米国外市場のひとつになるだろう。

プレシジョン・エンゲージメントおよびモビリティー・システムズ

F-4EJ型 F-4EJ型軍用機のライセンス生産が1969年に三菱重工業と共同で開始され、その完成時に138機のF-4EJ型機が日本の防衛省に納入された。三菱重工業はこのライセンス契約に基づき、引き続き予備部品および交換部品を防衛省に提供する。
AH-64D 2006年3月に日本の防衛省へ2機納入されたAH-64D型アパッチ・ヘリコプターのライセンス生産が2002年に富士重工業と共同で開始された。これに続き、C2契約に基づき追加の2機を請け負う契約が2003年12月に締結され、追加4機に関するC3およびC4契約を合わせたマルチ・ユニット購入契約は2005年2月に、さらに追加5機に関するマルチ・ユニット購入契約は2005年12月に締結された。今後20年間で合計60機の納入が予定されていた。しかし、費用の増加により、全体的な兵力構成が現在防衛省内で検討されている。最終的な組み立ておよびテスト、ならびに生涯を通じた後方支援サービスおよび改良のライセンスは富士重工業が持っている。
F-15J/DJ型 F-15J/DJ型軍用機のライセンス生産が1978年に三菱重工業と共同で開始され、最終的に合計213機が製造され、防衛省に納入された。将来的には、現在のF-15J/DJ型機に対する工学的な改良および装備の改良が検討されている。
CH-47J型 1984年8月に開始されたCH-47J型計画は、3段階で構成されている。現在当社は第Ⅲ段階にあり、川崎重工業とボーイング・フィラデルフィア-ロータークラフトPMCとの間の共同生産を行っている。ボーイングは川崎重工業が生産および同社の岐阜工場において最終的な組立てを遂行するためのすべての設計図を提供した。またボーイング・フィラデルフィアは以下のものを提供している。後部セクションの天井壁、床壁および側壁のパネル、後部パイロン、キャビン・セクション、床壁、天井壁(これらの製品は、機体の型の変更により減少する予定である。)、動翼、燃料容器、ギア、ベアリング、鋳造品および鍛造品。
日本の陸上自衛隊および航空自衛隊は計78機のチヌークを稼動させている。日本の所有する最も古いチヌークは現在、機体寿命の飛行時間である5500時間に達しており、段階的に稼動終了となる。2004年に航空自衛隊は、機体寿命を迎えたチヌークを新たなチヌークに買い換える計画の決定を行った。かかる買い換え計画には、今後10年から20年に渡り計60機の新航空機が含まれることが予想される。日本の防衛省による2005年から2009年の5年間の計画において少なくとも計15機のチヌークが買い換えられることが見込まれる。承認された2006年度の防衛省予算には2機のチヌークが含まれている。
KV-107型 川崎重工業は1959年以来、107型機のライセンス生産業者であったが、1990年2月16日防衛省に対して最後のKV-107型機を納入して、生産ラインを閉鎖した。合計160機のKV-107型機が川崎重工業により生産された。
767型空中給油機 2003年3月にボーイングは日本の防衛省と、3つの追加ユニットを購入できるオプションが付いた767型空中給油機1機に関する契約を交わした。第2機および第3機の空中給油機についての契約は2004年3月に、また第4機の空中給油機についての契約は2005年7月に締結された。最初の767型空中給油機の納入は2007年に予定されている。
ティルトローター 日本のすべての自衛隊(海上、陸上および航空)がV-22型オスプレイに関心を示し、かかる航空機の調達計画は1990年から1994年の5年の防衛計画に含まれた。生産計画の遅れにより、かかる調達は中止された。ボーイング、ベル・ヘリコプター、伊藤忠商事および三井物産の間で潜在的な軍事市場の調査および開拓を行うための四者間契約が、1987年から様々な形態で締結されており、1999年および2006年に更新された。軍事市場の評価および開拓の現在の焦点は、海洋関連およびV-22型機の性能に適したミッションの支援ならびに新たな特殊作戦の要件に置かれている。ハープーン対艦ミサイル発射システム 1980年にハープーン発射システムのライセンス生産が開始され、1999年までには140機の発射システムが三菱重工業により防衛省に納入されている。空中警戒管制システム(「AWACS」) 統合戦闘空間市場において、ボーイングは767 AWACSプログラムを通じて日本と長期にわたる関係を有している。1993年3月、日本の国会はボーイング製の767型機搭載空中警戒管制システム(「AWACS」)2機の調達と、さらに2機を追加するオプションを承認した。AWACSシステムは、世界で主要な機上監視指揮統制システムである。それまでボーイング707型機に使用されていたAWACSが、このとき初めて767型機上で利用されることになった。日本の767型機生産計画には、伊藤忠商事を通じて行われた原型の767型機の直接販売と、米国政府を通じた管制装置に関する個別の契約が含まれる。ボーイングと伊藤忠の間の契約は1993年10月に締結され、米国政府との契約は1994年に締結された。1994年9月には、追加のAWACS2機が購入された。上記の通り、日本の産業界は現在かなりの割合の767型機を生産している。さらに、1998年3月に行われた2機のAWACSシステム納入後に、767 AWACSの長期後方支援が川崎重工業、東芝その他の日本企業を通じて実施されている。最後のAWACSシステム2機は1999年1月6日に納入された。またボーイングは、電子システムセンターとの対外有償軍事援助協定に基づき、日本のAWACSについて航空自衛隊に対して納入後の直接的なサポートを提供している。

ネットワークおよびスペース・システムズ

打上げ市場において、ボーイングと三菱重工業は広範な宇宙打上げロケット・プロジェクトに関する長期事業開発契約に基づき協力している。かかる契約の最も重要な目的は、優れたコンポーネントおよびサブシステムを利用することにより、世界市場における打上げロケットの性能とコストを改善するために、互いの技術および製造能力を利用することである。近年、両社は使い捨て型打上げロケット市場のための新しい低温上段ステージ・エンジンの共同開発を開始するための事業開発契約を締結した。また三菱重工業は現在、ボーイングのデルタ打上げロケットのタンク、メイン推進バルブおよび熱交換器を供給している。人類宇宙飛行および宇宙探検市場において、ボーイングは国際宇宙ステーション(「ISS」)に関して日本企業と数多くの通商交渉を行っている。三菱重工業、東芝および石川島播磨重工業はすべてボーイングと契約しており、宇宙航空研究開発機構(「JAXA」)の遠心分離プログラムのためのコンポーネントの研究および製造を行っている。NEC東芝スペースシステムは遠心分離ローターを、石川島播磨重工業はライフ・サイエンス・グローブボックスを、また三菱重工業は遠心分離設備モジュール構造を提供している。さらに、ボーイングは三菱商事との間で、ISSのための一般停泊メカニズムのコンポーネントならびに多くのハッチおよび窓を供給するその他の契約を交わしている。日本とボーイングの歴史および関係は、2000年にヒューズの宇宙・通信事業を買収した際に拡大した。1964年夏、その前年に現在ボーイング・サテライト・システムズ(「BSS」)となっている会社によって打ち上げられた世界初の静止通信衛星シンコムによって送られた東京オリンピックの映像が米国中の家庭のテレビスクリーンを満たした。幸先のよいスタートから40年間、BSSは日本の諸官庁および企業との間に強固で生産的な関係を築いた。今まで当社では、4つの異なる顧客に、16個の異なる宇宙船を使って、軌道上衛星通信を106年提供してきた。日本は、農業、商売そして破壊的台風が周期的に訪れる島国に住む人々にとって不可欠な気象予報を提供するため、1977年から5つの一連の静止気象衛星ひまわりに依存している。BSSは日本のNASDAとの契約のもと、NECと共同して、これら衛星のうちの1号機を製作し、1977年7月に打ち上げを行った。1985年、BSSは日本の商業衛星時代の幕開けにおいて重要な役割を果たした。日本の主要商事会社である伊藤忠商事と三井商事の2社と協力し、日本初の衛星通信ベンチャーであるJCSAT(現・JSAT株式会社)を設立した。BSSはJSATのために、日本初のペアの商業衛星JCSAT1&2、ボーイング393型衛星を含む7つの衛星を製作した。翌年にJSAT株式会社は、一連の5つのボーイング601型衛星を通じて、アジア太平洋地域に通信・放送サービスを提供する強固な事業を構築した。JCSAT-8は一番最近に打ち上げられたもので、2002年3月に打ち上げられた。BSSは、日本の衛星通信産業が成長したとき、その他の会社との関連性もフォローした。ボーイングは、宇宙通信株式会社のスーパーバード衛星郡の要である601型および601HP型衛星を一番最近で2001年9月に受注し、供給した。スーパーバードは事業用通信サービスを提供するものである。スーパーバード6は、ボーイングによって製作されるもので3機目であり、2004年第2四半期に打ち上げられた。東京の株式会社放送衛星システム(「BSAT」)は、テレビ放送サービスを目的に使うことを計画している衛星の供給業者にボーイングを選定した。ボーイングはBSAT向けに376型衛星を2台製作し、B-SAT1aを1997年に、B-SAT1bを1998年に打ち上げた。NHK(日本放送協会)は、B-SATの主要な顧客であり、日本国内の1千万世帯に番組を放送するのに利用している。