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富士車輌

【商号履歴】
富士車輌株式会社(1945年9月~)
富士造機株式会社(1944年2月~1945年9月)

【株式上場履歴】
<東証1部>1954年9月24日~2001年5月24日(民事再生法適用申請)
<大証1部>1952年11月18日~2001年5月24日(民事再生法適用申請)
<名証1部>1961年10月 日~2001年5月24日(民事再生法適用申請)

【合併履歴】
2003年10月 日 富士車輌販売株式会社

【沿革】
大正14年(1925)10月 石原重太郎、留吉兄弟が大阪市西成区出城通3丁目において鍛圧機械の製造販売を開始。
昭和13年(1938) 8月 大阪市西成区旭南通5丁目において、株式会社石原兄弟製作所(資本金47万5000円)を設立。
昭和19年(1944)12月 資本金500万円をもって、富士造機株式会社を設立し、前記工場を旭工場と改め、大阪府南河内郡狭山町(現大阪狭山市)に本社・大阪工場を建設し、鍛圧機械及び鋳鉄、鉄鋼品の製造を開始。
昭和20年 (1945) 9月 商号を富士車輌株式会社と改称し、国有鉄道および私鉄車輌の製造を開始。
昭和27年 (1952)11月 大阪証券取引所に上場。
昭和29年 (1954) 8月 橋梁、鉄骨、鉄塔の製造販売を開始。
昭和29年 (1954) 9月 東京証券取引所に上場。
昭和32年 (1957) 2月 高圧容器及び化学機器類の製造販売を開始。
昭和34年 (1959)12月 クリーニング機器の製造販売を開始。
昭和36年 (1961)10月 名古屋証券取引所第1部に上場。
昭和38年 (1963) 2月 各種公衆衛生車の製造販売を開始。
昭和38年 (1963) 7月 滋賀県野洲郡守山町に滋賀工場を建設し、車両・橋梁工場として操業を開始。
昭和40年(1965) 2月 宇部興産株式会社が経営に参加。
昭和45年 (1970)10月 鉄屑処理機械の製造販売を開始。
昭和47年 (1972)11月 プレハブ合成桁構造の自走式立体駐車場の販売を開始。
昭和48年 (1973)12月 廃棄物処理プラント等、環境装置分野に進出。
昭和56年(1981) 3月 富士精機株式会社を吸収合併し、クリーニング機器の製造販売を一貫して行う。
昭和59年(1984) 3月 産業機械、化学薬品貯槽の設計据付工事部門を独立し、富士エンジニアリング株式会社を設立。
昭和59年(1984) 8月 特装車の販売・修理部門を独立し、富士車輌販売株式会社を設立。
昭和60年(1985) 7月 クリーニング機器の販売・修理部門を独立し、富士洗機株式会社を設立。
昭和61年 (1986) 2月 滋賀工場へ生産を集約し、本社を大阪市内に移転。
昭和61年 (1986) 9月 機械器具の設計・製造・修理部門を独立し、守山興産株式会社を設立。
昭和61年 (1986)10月 大阪工場を閉鎖し、滋賀工場に生産を集中。
昭和61年 (1986)12月 本社を大阪市南区八幡町28番地に移転。(平成元年2月、大阪市中央区西心斎橋二丁目2番3号に住居表示を変更。)
昭和62年 (1987)12月 ゴルフ練習場を滋賀工場隣接地(工場内遊休地)に建設。スポーツ施設の賃貸を開始。
平成 3年 (1991) 4月 機械式立体駐車場の販売を開始。
平成 4年 (1992) 3月 プレハブ自走式駐車場の販売を開始。
平成 6年 (1994) 3月 鋼構造物工事の設計・施工部門を独立し、株式会社富士ビルドを設立。
平成 6年 (1994)10月 滋賀県余呉町に保養所「余呉ふじとぴあ」が完成。
平成11年 (1999) 6月 中国無錫市にドライクリーニング機の製造販売会社「無錫小天鵝富士清潔設備有限公司」を設立。
平成12年 (2000) 6月 ビッグベールプレス(圧縮梱包装置)の販売を開始。
平成13年 (2001) 1月 富士スポーツ観光株式会社を解散。
平成13年 (2001) 2月 民事再生手続開始決定。
平成13年 (2001) 2月 株式会社富士ビルド、民事再生手続開始決定。
平成13年 (2001) 6月 立体駐車場事業撤退
平成13年(2001) 6月 クリーニング機の製造販売会社「無錫小天鵝富士清潔設備有限公司」を地元企業へ譲渡。
平成13年(2001)10月 クリーニング事業、「ワイエイシイ株式会社」へ営業譲渡。
平成14年(2002) 3月 資本金減増資
平成15年(2003) 7月 富士エンジニアリング株式会社を営業譲渡により経営統合
平成15年 (2003) 10月 富士車輌販売株式会社を合併
平成16年 (2004) 10月 本社を大阪市内より滋賀県守山市へ移転