本田技研工業
本店:東京都港区南青山二丁目1番1号

【商号履歴】
本田技研工業株式会社(1948年9月24日~)

【株式上場履歴】
<東証1部>1957年12月2日~
<大証1部>1958年4月16日*1
<名証1部>1958年4月16日~2007年12月2日(上場廃止申請)
<福証>  年 月 日~2007年12月2日(上場廃止申請)
<札証>  年 月 日~2007年12月2日(上場廃止申請)
<京証>  年 月 日~  年 月 日(廃止)
<広証>  年 月 日~  年 月 日(廃止)
<新証>  年 月 日~  年 月 日(廃止)

【沿革】
昭和21年10月 本田宗一郎が静岡県浜松市に本田技術研究所を開設、内燃機関および各種工作機械の製造ならびに研究に従事
昭和23年9月 本田技術研究所を継承して本田技研工業株式会社を設立
昭和24年8月 二輪車生産開始
昭和27年4月 本社を東京都に移転
昭和27年9月 汎用製品生産開始
昭和28年5月 大和工場(昭和48年1月より 埼玉製作所 和光工場)稼動開始
昭和29年4月 浜松製作所葵工場(昭和29年11月より 浜松製作所)稼動開始
昭和32年12月 株式を東京証券取引所に上場
昭和33年3月 株式を大阪証券取引所に上場
昭和33年4月 株式を名古屋証券取引所に上場
昭和34年6月 米国カリフォルニア州にアメリカンホンダモーターカンパニー・インコーポレーテッドを設立
昭和35年5月 鈴鹿製作所稼動開始
昭和35年7月 本田技術研究所を当社より分離し、株式会社本田技術研究所を設立
昭和38年6月 四輪車生産開始
昭和39年10月 タイにアジアホンダモーターカンパニー・リミテッドを設立
昭和39年11月 狭山製作所(昭和48年1月より 埼玉製作所 狭山工場)稼動開始
昭和44年3月 カナダオンタリオ州トロントにホンダカナダ・インコーポレーテッドを設立
昭和45年9月 狭山製作所第2工場工機部門を当社より分離し、ホンダ工機株式会社(昭和49年7月より ホンダエンジニアリング株式会社)を設立
昭和45年12月 真岡工場(平成4年6月より 栃木製作所 真岡工場)稼動開始
昭和46年10月 ブラジルにホンダモーター・ド・ブラジル・リミターダ(平成12年4月より ホンダサウスアメリカ・リミターダ)を設立
昭和51年3月 熊本製作所稼動開始
昭和52年2月 ADRをニューヨーク証券取引所に上場
昭和53年3月 米国オハイオ州にホンダオブアメリカマニュファクチュアリング・インコーポレーテッドを設立
昭和55年2月 米国カリフォルニア州にアメリカンホンダファイナンス・コーポレーションを設立
昭和56年6月 株式をロンドン証券取引所に上場
昭和60年2月 英国ウィルシャー州スウィンドンにホンダオブザユー・ケー・マニュファクチュアリング・リミテッドを設立
昭和62年3月 米国カリフォルニア州に北米子会社事業の統轄機能を有するホンダノースアメリカ・インコーポレーテッドを設立
平成元年8月 英国バークシャー州レディング(平成12年7月より スラウ)に欧州子会社事業の統轄機能を有するホンダモーターヨーロッパ・リミテッドを設立
平成2年6月 栃木工場(平成4年6月より 栃木製作所 高根沢工場)稼動開始
平成8年5月 アジアホンダモーターカンパニー・リミテッドにアセアン子会社事業の統轄機能を設置
平成11年12月 米国アラバマ州にホンダマニュファクチュアリングオブアラバマ・エル・エル・シーを設立
平成12年4月 ホンダサウスアメリカ・リミターダに南米子会社事業の統轄機能を設置
平成14年6月 埼玉製作所 和光工場の四輪車用エンジンの生産を終了し、その生産機能を埼玉製作所 狭山工場(平成14年10月より 埼玉製作所)に移管(埼玉製作所 和光工場跡地については、平成16年7月よりHonda和光ビルとして活用)
平成16年4月 栃木製作所 高根沢工場の四輪車の生産を終了し、その生産機能を鈴鹿製作所に移管

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最終更新:2010年11月11日 14:22

*1 有価証券報告書には3月とあるが大阪証券取引所史第三巻統計によった