麻生産業


【商号履歴】
麻生産業株式会社(1954年10月~1969年6月30日会社解散)
麻生鉱業株式会社(1941年5月~1954年10月)
株式会社麻生商店(1918年5月31日~1941年5月)

【株式上場履歴】
<東証2部>1961年10月2日~1969年6月30日(会社解散)

【合併履歴】
1954年10月 日 産業セメント鉄道株式会社
1937年9月 日 嘉麻興業株式会社

【沿革】
明治5年 麻生太吉、目尾御用山にて石炭採掘事業に着手
明治20年頃 「麻生商店」の名称発生(当時は個人組織)
明治29年 嘉穂銀行創立
明治30年 九州鉄道株式会社創立
明治32年 麻生太吉、衆議院議員当選
明治41年 嘉穂電灯株式会社創立(送電開始は明治43年)
明治44年 飯塚病院(麻生炭坑病院)竣工(病床数120)
大正2年 麻生太吉、九州水力電気株式会社取締役就任
大正3年 麻生商店本社社屋竣工(旧本社)
大正6年 九州産業株式会社創立、石灰石採掘と石灰製造開始
大正7年 麻生商店を株式会社組織とし、麻生太吉社長就任
大正7年 飯塚病院社内診療開始
大正8年 九州産業鉄道株式会社創立、九州産業株式会社を買収
大正9年 飯塚病院(私立飯塚病院に改称)を一般に診療開放
大正11年 麻生太吉、九州産業鉄道株式会社社長就任
昭和3年 麻生家家訓「程度大切、油断大敵」を創定
昭和4年 九州鉱業株式会社創立
昭和4年 九州産業株式会社創立(九州産業鉄道株式会社より分離)
昭和5年 昭和電灯株式会社設立(嘉穂電灯株式会社解散)
昭和8年 九州産業株式会社セメント工場(現田川工場)起工
昭和8年 産業セメント鉄道株式会社設立。麻生太吉、社長就任(九州産業鉄道株式会社と九州産業株式会社合併)
昭和8年 麻生太吉逝去
昭和9年 麻生太賀吉、株式会社麻生商店および産業セメント鉄道株式会社の社長に就任
昭和11年 現田川工場火入れ、セメント製造開始
昭和11年 麻生商事株式会社設立
昭和14年 麻生塾開校
昭和16年 商号を株式会社麻生商店から麻生鉱業株式会社に改称
昭和18年 産業セメント鉄道株式会社鉄道部門を国鉄に譲渡
昭和20年 嘉穂銀行、福岡銀行と合併
昭和28年 太賀吉社長、九州電力株式会社会長に就任
昭和28年 株式会社アラム設立
昭和29年 産業セメント鉄道株式会社と麻生鉱業株式会社が合併、商号を麻生産業株式会社と改称
昭和30年 飯塚病院本館(地下1階、地上3階)完成
昭和31年 社章(チガイクギヌキ)正式制定
昭和32年 飯塚病院、医療法による総合病院の名称使用
昭和36年 麻生コンクリート工業株式会社設立(福岡コンクリート工業株式会社の前身)
昭和36年 麻生フオームクリート株式会社設立
昭和39年 現苅田工場設置、火入れ
昭和39年 飯塚病院、救急病院に指定
昭和41年 麻生産業株式会社より麻生セメント株式会社分離独立
昭和43年 麻生石油販売株式会社設立
昭和43年 麻生芳雄商事株式会社設立
昭和45年 麻生興産株式会社設立