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バイブルマンを笑えるか?

 ちょっと前にここで触れた『Who Needs a Superhero?』(H. Michael Brewer、Baker Books刊)の表4にはロバート・シュリップというひとも推薦文を寄せている。

 私は本当のスーパーヒーローではなく、コスチュームを着た普通の人間に過ぎないが、この本はいいと思う。『Who Needs a Superhero?』は私たちそれぞれが神に求められたヒーローたろうとすることを助けてくれる。ケープがクールだと考える大人にとっての必読書だ。
ロバート・T・シュリップ(Robert T. Schlipp)、a.k.a バイブルマン、元牧師

 これを読んだ時点ではまだ「バイブルマン」をどこかの教会のイメージキャラクターかなにかだろうと考えていた。地元で教会がイベントでもやったときに子供向けのサービスに登場するだけのチープなものなんだろうと……まあこの予測、じつはそれほど的外れでもないともいえるのだが、調べてみるとちょっとそのスケールがちがっていた。
 このキャラクター、日本の戦隊モノや仮面ライダーのような特撮ヒーローだったのだ(監督が『Power Ranger』を手がけたひとなので完全に日本の特撮の影響下でつくられている)。

バイブルマン #1
 ウィリー・アームズ(Willie Armes)演ずる福音派的なスーパーヒーローキャラクターを主人公にしたアメリカのビデオシリーズ。1990年代半ばに子供たちに聖書の教えを広めるために制作がはじめられた。このシリーズはビデオ、本、ライブショーで展開されており、北米全土をツアー展開している。
http://en.wikipedia.org/wiki/Bibleman

 念のために日本のサイトも見てみると「説教で敵を倒す脅威のヒーロー」としてすでに数年前にいくつかのサイトで紹介されていた。当然これらのエントリの意図は「トンデモ」なものとしてこれを笑おうというものだったのだが、調べていくにつれ徐々に自分の笑いがこわばっていくのを自覚せずにはいられなかった。
 まずこのシリーズ、今年で10周年になるらしいのだが、いまだに続いている。しかもその間にあきらかにコスチュームや画像のクォリティーが上がっている(当たり前ではあるが、慣れや技術的な成熟以上にどう見てもかかっているお金が倍増している)。本だけでなく、アクションフィギュアやビデオゲームなどのキャラクターマーチャンダイズ展開もはじめており、それでいてアメリカのコミックファンにはほとんど知られていない。
 とりあえずNewsramaやComic Resourceには記事が見当たらず、Beatにリンクによる言及があった程度。ファンによるBlogで触れているのはいくつか見つけたが、これに関してはだいたい日本での反応と大差はない。要するに「マジですか、これは?」という奴だ(一番わかりやすい実例:http://www.i-am-bored.com/forums.asp?page_num=1&action=read&q_id=5609&ct=10)。もっと露骨にバカにしている例もあるが(http://www.hugeinternetsuperstars.com/viewarticle.php?art_id=200)、いずれにしろ「コミックブックスタイルのスーパーヒーロー」と形容されながら、コミックファンが「知らない」ことが前提となっている(し、おそらくホントに知らない)。にもかかわらずいっぽうでバイブルマンは日本にまでこんなニュースが流れてくるほど売れている。

◎キリスト教など宗教がらみのゲームが米国で人気【ニューヨーク=EP・CJC】キリスト教など宗教がらみのゲームが米国で急速に人気を集めている。
 福音派には『トリビアル・パーシュート』(些細な追跡)がこれまでも人気があったが、ここへ来て『レデンプション』(罪の贖い)や『バイブルマン』の売れ行きに勢いが出てきた。 キリスト教関係のゲームの発売元『タリコール』社のルー・ハーンドン会長は、 AP通信に「売り上げはこの数年で劇的に成長した」と語った。毎年宗教関係のゲームは数十万売れるという。
 宗教信仰を売り物にする、という批判もある中で、ハーンドン氏は、ゲームを買うキリスト者がテレビや世俗化した文化の否定的な影響を打ち消すためなのだ、と説明する。「テレビなどのメディアを通じて子どもたちに伝わるメッセージを不快に思うキリスト者は多い。子どもたちは遊べる良質で健全な製品を望んでいる」と言う。
(「世界キリスト教情報」、http://www.academy-tokyo.com/skj/2002/10_14_2002.htm

 どうやらこの落差の原因はディストリビューションの違いにあるようだ。バイブルマンのビデオやグッズの主要な小売はクリスチャンショップ(キリスト教商品専門店)であり、テレビ放映はキリスト教専門のケーブル局でおこなわれている。つまり、日本における新興宗教団体のアニメ映画のようなものだと考えるのが妥当なようなのだ。
 私たちはたとえばオウムのアニメを見たときに失笑するシニカルな感覚を持っているが、同時にそれを制作した団体がおこしたテロ事件を考えると同じフィルムに対し薄気味悪さも感じる。私がバイブルマンに感じる薄気味悪さは要はそういうものなのだが、それがキリスト教という世界宗教(これはプロテスタントのそれも福音派の制作らしいが)でおこなわれていることにはちょっと慄然とする。
 wikipediaの記述で主演が「ウィリー・アームズ」と書かれているのはロバート・シュリップは二代目のバイブルマンだからで、現在は初代のアームズはプロデューサーにまわっているらしい。彼は80年代の人気テレビドラマ『Eight is Enough』、『Charles In Charge』に主演していた俳優で、アームズがハリウッドを去ったあとバイブルマンの企画に参加したのはそれ自体けっこう話題になったようだ。
 以下はアームズがバイブルマンに至る「回心」の軌跡。

 彼は自分の絶え間ない飲酒と日に3グラムのコカイン、週2オンスのマリファナというマイアミとフォートローダーデールでの日々を思い出す。彼はその頃の自分はそれを自分が流行遅れになり成功から遠ざかったためだと考えていたと語る。彼の本当の誤りは、彼の感じ方、内面にあった。
 この生活は彼が1983年に一本の映画を撮るまで続いて、そこで彼はついに94ポンドの骨ばかりになった自分を発見し、ことが自分の生死にかかわることを理解した。彼は12段階の中毒者更正プログラムに参加し、すべての薬を抜いた。
 しかし、いまだに内面に空虚さを感じていたアームズは療養所を出るとラジオで説教を聞いた南カリフォルニア教会の牧師を訪ねた。そこで彼は自分と似た境遇にある人々が口々に感謝の言葉を述べるのを聞いた。「ただひとつ違っていたのは彼らが希望を持っていたことだ。そしてそれこそが私にもっとも必要なものだった。新しい自動車や家への欲望ではなく、よりよく生きたいという希望だ。このとき私はクリスチャンになったんだ」
(「Bibleman Wields `Sword of the Spirit' for Preteens」、James D. Davis、http://www.beliefnet.com/story/34/story_3431_1.html

 二代目のシュリップはよりわかりやすく、バイブルマンになるまでは北カリフォルニア最大規模の教会で児童信徒の指導を担当する牧師だった。サーカスのピエロをやったりお天気キャスターをやったりとショービズ系のキャリアもあるようだが、バイブルマンに抜擢されたこと自体はこのキャリアがモノをいっている部分があるのは間違いないだろう。もともと彼の奥さんがバイブルマンの相棒バイブルガール(……)役を演じていたことから話が来たらしい。
 はっきりしているのはバイブルマンが現代アメリカのキリスト教信仰のコマーシャル化を反映したショーであり、プログラムであり、キャラクターであることで、シュリップ自身がこんなことを言っている。

 今日の教会ボランティアにとってもっとも重要な挑戦のひとつは、現代のDVDのプログラミングやX-BOXの遊び方をいち早く覚えるハイテク好きな子供たちの入学以前の時期、どうやって彼らを教会にひきつけておくかということだ。
「子供たちはテレビから色とりどりで動きの早い画像や楽曲の絨毯爆撃を受けている」バイブルマンライブで51分間のステージのあいだに歌、スタント、特殊効果、派手に演出された殺陣をみせるロバート・T・シュリップは語る。
「塗り絵やお絵かき板をかき集めただけではいまどきの子供たちにとってあまりクリエイティブではないんだ」シュリップは主張する。
(「The 4-14 Window: New push on child evangelism targets the crucial early years.」、John W. Kennedy、http://www.christianitytoday.com/ct/2004/007/37.53.html

 要は幼児向けの布教ツールということなのだが、そう割り切って考えられているぶん、やはり笑いよりは怖さを感じる。いずれにせよ各地で数百から千という観客を集めながら年に百を超える都市でライブショーがおこなわれているこのキャラクターは「トンデモ」かもしれないが、ちょっとシャレになっていない。
バイブルマン公式サイト http://www.tvdepot.com/bibleman/home.jsp

クリスチャンコミックス

 世の中には「クリスチャンコミックス」というジャンルがあるらしい。「WWWでもっとも長く続いているクリスチャンコミックスガイド」という触れ込みの『Christian Comics International』(http://members.aol.com/ChriCom/)を見ると「キリスト教信仰」という視点から、ファンや通常のコミックス研究とはまったく異なったコミックスへのアプローチがなされていてかなり新鮮な感じがする。
 紹介されている新しい作品は聞いたこともないようなものばかりだが、「Christian Comics PIONEERS」のコーナーにイーグルスやグレイトフルデッドのジャケットイラストで日本でもお馴染みのリック・グリフィンが入っていて驚かされる。普通はMADかアンダーグラウンドコミックスムーブメントの文脈から語られるひとなので「なるほどそういう考え方もあるか」という感じ。
 もともと聖書ネタというかキリスト教系のコミックスは毎月一定量あるものなのだが、マイク・オールラッドの新作がモルモン教の経典のコミック化だったり、IDWから創世記のグラフィックノベルが出たりと最近少し出版が目立つ。

『The Truce for Youth』(http://www.thetruthforyouth.com/

 キリスト教原理主義の考え方を青少年向けにわかりやすくマンガにしたもの。オンラインで中のいくつかの章は(解像度低くてえらく読みにくいが)読めるようになっているので一読を勧める。「ポルノ」「ホモセクシャル」「校内暴力」「ロック」「ドラッグ」などのトピックがキリスト教原理主義の考え方に基づいた教訓話にまとめられているのだが、個人的には進化論の章がファニーで好きだ。
 話は理科の先生が進化論を教えようとするするのに対し学生が反論して「創造の科学もおしえてください」とかいった挙句に、屁理屈で丸め込まれた先生が「じゃあ、取り上げることにするけど、資料はあるかい」というとこの本が手渡されるという(他のネタもオチは似たりよったりだ)かなりどうでもいいものなのだが、黒人の少女が先生に反論して曰く「進化論なんて互いに矛盾する理論が23もありますけど、創世記が提供している創造神話はひとつしかありません」という台詞にぶっ飛ぶ。無数にある他の創世神話はすべて無視ですか、そうですか。

なんだかとんでもないもの

 昨日書こうと思ってすっかり忘れていた(あんまたいしたこといってない割りに書くのが面倒だったので)のだが、ここんとこアメリカンマンガ系の情報を検索していてじつは&html(<a href="http://www.christiananime.net/index.php">なんだかとんでもないもの</a>)を発見した。ひょっとしたら有名なのかもしれないし、そうじゃないのかもしれないが、少なくとも私はどう考えればいいのかさっぱりわからない。

 CAAは非営利で、宗派にこだわらない、animeやmangaを通じて人生を変え、私たちがただひとりの神の子であると信ずるイエス・キリストの教えを隣人たちに広めることを目的とした団体である。
いかにして救われるか:
  1. 自らが救いを求める罪びとであることを知りなさい。
  2. イエス・キリストへの信仰が唯一の救いの道だと知りなさい。
  3. イエスの御前にひざまずき、自らの罪への許しを願いなさい。
  4. イエスのなされたことすべてを信じ、その御言葉すべて(その死も復活も)を信じ、自ら懺悔してキリストがあなたの主であるよう求めなさい。
私たちが信じること:
  • 聖書こそが霊感を得て書かれ、権威ある、唯一絶対の神の言葉です。その言葉を通じてキリストは我々に語りかけてこられ、人生の指標を示されます。聖書はまた私たちがこの地上の生活で抱く疑問すべてに答えを与えてくれるものです。
  • この世にはただひとりの神がおられ、その唯一の神が三つの様相をとってあらわれます。それが父と子と精霊であり、我々はまた神がご自身と人間とを唯一の子であるキリストを通じてつなぎ、キリストを通して私たちを救うのだと信じます。私たちは神が我々と親しく触れ合うことを望んでおられると信じます。
  • キリストの神性、その処女懐胎、その無垢なる生涯、その数々の奇跡、その恐れなき死、その復活、その昇天、そして力と栄光を得ての帰還。私たちはイエス・キリストこそが天国への唯一の道だと信じ、彼なくしては地獄の炎を防ぐことは適わなず、罪の許しを得ることもできないと信じます。
  • キリストが神であると告解することで救いを得、彼が死を克服したと衷心から信じ、罪の許しを願います。
  • 我々はその行動や神を称えることによって救われるのではなく、ただ神の慈悲と信頼に、神を信じることによってのみ救われる。簡単にいえば、私たちは救済に得るために何かをするのではなく、それは神が自身を信じるものに対して与える無償の贈り物なのである。
  • 救われしものも救いを失ったものもやがて復活し、キリスト教徒は神とともに天上でその主として永遠の生活を与えられる。救いを失ったものは地獄において永遠の死を与えられる。
私たちのスタンス:
  • 政治:私たちはすべての政府は神の意を呈して存在すると考えますが、すべての政府が正しいわけではありません。私たちはいかなる党派、政治運動、地上のいかなる政治組織とも政治的な提携はしません。政治的な利益を目的とした議論はここでは許されません。
  • 中絶:私たちは強固な中絶反対論者であり、この点で議論の余地はありません。たとえどのような状況であっても中絶は悪であり、殺人です。
  • ホモセクシャリティー:私たちはホモセクシャルは断固として光の道を歪めるものだと信じ、それ自体が罪であると考えます。これは選択であり、ライフスタイルであり、ものの見方の問題であって、遺伝的欠陥ではありません。アニメがこのライフスタイルを美化する傾向は完全に否定的に捉えられなければなりません。しかし、私たちはイエス・キリストの償いの力を信じています、そしてその肉欲の罪に抗おうとするひとびとの助けとなりたいと考えます。
  • ファイル共有:KazaaやWinmxもしくはサイトを通じての特定のメディアへのダウンロードは完全な違法行為です。私たちはこうしたソフトウェアのサポートをしないと公式に宣言します。
  • 他の宗教:私たちはすべてのキリスト教以外の宗教、または宗教的な運動は罪深く、悪だと信じています。救いの道は単一であり、それはイエス・キリストへの信仰を通じてのものなのです。
(「FAQ:About Us」、『CAA: Christian Anime Alliance』、http://www.christiananime.net/faq.php?faq=caa_info#faq_caa_info_rules

見ての通り、これは完全なキリスト教原理主義の考えに基づいて運営されている「anime、mangaのファンサイト」なのだ。糾弾サイトの類ではなくファンサイト。
 フォーラム自体はべつになんてことのないごく普通のアニメフォーラムで「『Mew Mew Power』(『東京ミュウミュウ』のアメリカ放映タイトル)はオリジナルからの変更がきついみたいだからノーカットのDVDボックスが出るのを待つよ」とか「『Fruits Basket』って読んだ? すんごくおもしろいよねlol!!」みたいななんの変哲もない書き込みが並んでいるだけだ。
 アニメテーマではない、一般的な話題のフォーラムのほうはさすがにキリスト教がらみの話題が多いが、ちょっとアメリカにおけるキリスト教信仰のイメージがまたぐらりと変わった。読んでいて「おそらくごく単純にキリスト教コミュニティーの中にもアニメやマンガが大好きな子供たちが育ってきているというだけの話なのだろうな」とも思ったのだが、他の宗教や中絶、同性愛を完全否定しながら、どう考えても「そういう要素が満載」の日本産アニメ、マンガに夢中になっている(しかもそれを信仰に役立てたいという)、この倒錯した姿勢はやっぱり私には理解しがたい。これはいったいなんなのだろうなあ……
追記:
 コメントに対応して追記、indowさんが指摘されている「キリスト教原理主義者向けHR/HM」などの「キリスト教原理主義ポップカルチャー」とこのサイトは根本的に異質だ。実際にキリスト教原理主義の立場に立ったカートゥーンやスーパーヒーローコミックスもあって、それらは基本的には「既存のスーパーヒーローコミックスやカートゥーンが有害だから」つくられている。存在自体を認めないかどうかは信仰者の姿勢によるのだろうが、たとえば書店が「Christian」向けとして展開されている場合、彼らは 『ハリー・ポッター』や『指輪物語』すら店頭に置かれることを嫌う 。このCAAはそういった「Christian」的不寛容とも違い、もっと無邪気な単なるファンサイトで、そこがいちばん理解しづらい。同性愛やファイル共有を完全に否定しながら「Yaoi」、「Fansub」、「Lollicon」といった用語がきちんと解説されているのもどこか妙だ。アメリカにおける既存のアニメファンコミュニティーへの批判といった趣旨ならまだ理解できるのだが、そういうわけでもない。いちばんありそうなのは、既存の普通のアニメフォーラムでは信仰の問題から浮き上がってしまったクリスチャンのアニメファンが自発的につくったもの、という可能性だが、それはそれでなんだか切ない。おもしろがったり批判したいというよりは、この子供たちが信仰とアニメファンであることをどうやって矛盾なく両立しているのかが本当に不思議なのだ。

p2*補遺(クロスリファレンス)

 この話に関してはニュースサイトや2ちゃんねる辺りに捕捉されてもっとヒステリックな広がり方をするんじゃないかと予測していたのだが、いまのところはてなブックマークや<a href="http://1470.net/mm/">MM/Memo</a>を介した緩やかな広がり方をしているようなのでちょっとほっとしている(少しソーシャルブックマークの効能を実感した)。ただ、それでも情報が単発の「ネタ」として伝播していく状況に若干問題も感じたので背景的な情報というか、流れをクロスリファレンス的にまとめておく。
 まず私がキリスト教とコミックスの関係についてはじめて書いたのは<a href="http://d.hatena.ne.jp/boxman/20041017#p1">04年10月17日</a>のエントリ。この時点ではスーパーヒーローをキリスト教的に捉えることを「笑えるネタ」としてのみ受け取っている。
 その後アメリカ大統領選があって、むなぐるまさんと町山智浩さんの議論(<a href="http://munaguruma.air-nifty.com/blog/2004/11/post_7.html">「むなぐるま: 大統領選についての私的総括」</a>および<a href="http://munaguruma.air-nifty.com/blog/2004/11/post_9.html">「むなぐるま: 町山智浩氏にお返事」</a>)や指摘のあった<a href="http://d.hatena.ne.jp/TomoMachi/20041109">「町山智浩アメリカ日記 - 福音派ロックとファルージャ総攻撃」</a>を含む町山さんの選挙に絡めた一連のアメリカの文化状況の紹介を読みながら、改めてまともにキリスト教とコミックスの関連を調べてはじめたのが<a href="http://d.hatena.ne.jp/boxman/20041106#p1">11月6日</a>で、その後補足的に<a href="http://d.hatena.ne.jp/boxman/20041107">11月7日</a>、<a href="http://d.hatena.ne.jp/boxman/20041110">11月10日</a>に書いている(6日にコメントを受けたid:Gomadintimeさんの<a href="http://d.hatena.ne.jp/Gomadintime/20040718#p2">「AztecCabal」のエントリ</a>も非常に参考になった)。たぶん順に読むとこのテーマに対する私のスタンスの変化がなんとなくわかるだろうと思う。
 べつにこれらを全部読んでくれとも思わないし、今後こういうことはやらないと思うが、まあ読んでたほうが書いてあることはわかりやすい。
 で、なにがいいたいかというと、ブログのエントリはある程度コンテキストをつくりながら書いたことでも、流通する過程でトピックとして断片化する、という当たり前なことを改めて実感しただけの話。
……なるほどキチンとまとまったテキストを書く必要はやっぱりあるんだな。情報はストアできても、コンテクストは物語るしかないから。ああ、めんどくせえなあ。

キリスト教を問題にする理由

 昨日のエントリとコメント欄でのやりとりを経てみて、ちょっと自分の中で「なぜキリスト教を問題にするのか」が未整理な気がしたので、書きながら少し整理を試みる。
 もともとアメリカにおけるキリスト教コミュニティーはPTAや教師、司書とともに、50年代のコミックスバッシングを地域社会の中で主導した役割を持っていた訳で(これは一種の新興宗教である福音派やキリスト再臨派などとは無関係だ)、まず教義的な部分からきていたはずのこのコミックス否定が依然としてアクティブなものなのかということが第一の興味としてある。
 にもかかわらず、バイブルマンや『Truce of Youth』みたいな例ばかり掘り出されてきてしまった訳で、そうすると二点目の疑問点として、いったいこのM・C・ゲインズいうところの「強力な情報伝達ツール」としてのコミックスを利用することと、かつて教義的にコミックブックを否定していたことの整合性をキリスト教内で果たしてとっているものなのか? もしとる必要性を感じているとすればそれはどういう形でなのか? という興味が出てくる。
 もちろん「キリスト教原理主義者がそんなことを考えている訳がない」といった決め付けをするのは簡単だし、確実にそういう側面だってあるだろうとも思うのだが、個々の信仰者の内面やコミュニティーあるいは文化としてのキリスト教を考えた場合、そうした不均衡を整合するようなバランス機構というのは意識的、無意識的に働くはずだし、その具体的なかたちでの「あらわれ」が観察できてもいいはずだと思う。ま、それを見聞していたとしてこっちにそれが「そういうもの」だと判断するための知識や基準がなければなんにもならないし、たぶん現在の私にそういうものは欠落してる訳だが(だから、なんだかよくわからない)。
 思いつきの仮説でいえば、その整合性をとるアクションのあり方のひとつが「クリスチャンコミックス」というかたちでのコミックスというメディアの再評価、信仰内への取り込みではないか? なんてこともいえなくはない。
 まあ、わからないなりにおもしろいと思うのは、たとえば『CHICAGO SUN TIMES』04年7月9日掲載の「Christian Comics Summit」の立ち上げ集会を伝えたこんな記事。

 私がコミックブックコンベンションについて知っているわずかな知識はすべて『Chasing Amy』から学んだものだ。
 だからはじめてコミック「サミット」に赴き、このカルチャーに関するディープで新年に満ちた理屈っぽい議論を前にしたときにはほとんど麻痺してしまった。
 とはいうものの、それはクリスチャンコミックスクリエイターズサミットの設立集会で14人のコミックス作家とアーティストがエルジンのジュドソンカレッジのラウンジに集まって話し合っていただけのものだ。正確にいえばアリーナで数千人の熱狂的なファンがピーター・パーカーとスパイダーマンのどちらが優れているかに熱弁を振るうウィザードワールドやコミックコンのような巨大コンベンションではなかった。
もっとも優れたコミックス
 私が出会ったクリスチャンコミックスのクリエイターたちはもっと原理主義的で、もっと超越論的だった。彼らの議題は「ピーター・パーカーとスパイダーマン」ではなく「キリストとスパイダーマン」だった。
 彼らクリスチャンコミックスのクリエイターたちの中には何年もの経験を積んだプロフェッショナルもいれば、コミックスを描きはじめたばかりのアマチュアもいた。彼らの特徴は世俗のためのコミックスを描くクリスチャンであるという点だ。
 2000年以来、クリス・ヤンバー(Chris Yambar)は多作なコミックライターであり、ポップアーティストであり、オハイオ州ヤングスタウン出身の牧師でもある。彼はバート・シンプソンのコミックブックの主要なライターのひとりであり、その主人公であるビートニクヒーローの名を冠したカルト的な作品『ミスター・ビート』の作者でもある。『ミスター・ビート』のストーリーの中でももっともポピュラーで愛されている1話は「キリストとコーヒーを(Coffee with Jesus)」という話だ。
 他のほとんどのクリスチャンコミックブックヒーローはミスター・クリスチャンやアーマーベアラー、あるいはザ・カーディナルといった名を持ち、ほとんどのクリスチャンコミックブックのストーリーは伝統的な善悪の戦いであり、その戦いは「十字架の力」(しばしば文字通りそれを武器にして)で戦われる。
 ポニーテール以外は刈り上げた髪と薄気味悪いほどシンプソンズに出てくるコミックショップ店主に似た風貌を持つヤンバーはいつもよりうまく「キリスト教的」なメッセージを自分のコミックスの中に紛れ込ませようとしているのだという。
「お気に入りのシリアルみたいなもんさ」ヤンバーはいう。「いつだって箱の中にはマンガのキャラクターが入っている、ときにそれは単におもしろいだけのものだ」彼は自分のシンプソンズのコミックスを例にとっていう。「だけど時々そこには大当たりの景品が隠されているんだ」私が信じるところ、彼のこの言葉はキリストに関するものであって秘密の暗号解読装置についてのものではない。
(「Christian comic summit drawn into debate on faith」、Cathleen Falsani、http://www.suntimes.com/output/falsani/cst-nws-fals09.html

 この新聞のポリティカルなスタンスは知らないが、宗教担当だという記者のキャスリーン・ファルサーニの筆致には「コミックス」なんかで神学議論をしようとする作家たちに対してあきらかな悪意が感じられる。いっぽういってることの是非は別にして、出席者たちのほうは大真面目である。案外、この微妙にズレた感じが「クリスチャンコミックス」という言葉のニュアンスをもっともよくあらわしているのかもしれないとも思うのだが、わからないといえばわからない。
 しかし、キリスト教に対して無知だからかもしれないが、シンプソンズのリードライターのひとりがここまで原理主義的なクリスチャンだったというのはけっこうショッキングである。サウスパークといい、現代アメリカのアナーキーな表現というのは極端な保守主義と直結しているのだろうか。それはそれで薄ら寒い話だが。

すいません、知ってました

 数日前にコメント欄で教えてもらった『Left Behind』、公式サイト(http://www.leftbehind.com/)にいってみてビックリ。id:Gomadintimeさん、すいません、やっぱこれ知ってました。いや、読んではおらず「知ってる」だけなんですが。
 なぜ知っているかというと、この本のグラフィックノベル版は数ヶ月前にDiamond Comicsのカタログ『Previews』に掲載されており、いちおうオーダーを検討し(ディスクリプションを読んで、なにかヤバい匂いがするものはいちおう検討することにしている)結果的にやめた記憶があるからだ。やめた理由はたしか「単価が高いうえにいっぱい出てる」とかそういうどーでもいいことなのだが、驚いたのはむしろこの本がそんな大ベストセラーだったことのほう。ウォールマートでは平積みなのかもしれないが、ダイレクトマーケット流通をほぼ独占しているダイアモンドでは単なる無名のインディー扱いだったし『Wizard』読んでるような一般のコミックファンはその存在すら知らないだろうと思う(でもよく考えると『Wizard』に広告打ってた気もするな)。ま、「無名のインディーの割りにずいぶんちゃんとした本つくってるけど、どっから金引っ張ってるんだろう?」とも思ったけど。
 つまりはこのグラフィックノベル版もどう考えてもバイブルマンと同じように通常のコミックス流通とは異なったところで「売れて」いるものだと考えられるわけで、個人的には「宗教云々」ということ自体より、この妙な二重構造のほうが気にかかる。前に紹介した『CHICAGO SUN TIMES』の記事でクリス・ヤンバーは他のアーティストたちに「クリスチャンコミックスは囲われた中でやっている、もっと外に向けてアプローチしなきゃダメだ」とかいう意味の檄を飛ばしているのだが、これはそうしたマーケットの二重構造が前提になっているからだろう。おそらくヤンバーのようなクリスチャンコミックスの描き手には「宗教的にはメインストリームなのにコミックスというサブカルチャーの中では傍流」という状況にある種のフラストレーションがあるのだろうと思う(アメリカンコミックスはユダヤ系の影響力が大きかったりもするし)。『Left Behind』のベストセラー化のような現象は一見「アメリカ社会の均質化」のようなものをイメージさせるが、実際にはむしろこういう「倒錯した多層性」を象徴するものなのではないかと思わないでもない。

倒錯した多層性

『ザ・ゴッドファーザーズ』
 アルバート・リヴェラ(Alberto Rivera)第三の告発の書。ここではローマカトリック教会がいかにして「憎悪の母」として多くの戦争を引き起こしてきたかが語られる。本書はこれまでカトリック教会が触れようとしてこなかったものだ。もしあなたがカトリック教徒であったり、カトリックの友人、恋人がいるならこれはあなたのために描かれた本だ。
(「The Story of a Jesuit Priest」、http://www.chick.com/reading/comics/0114/godfathersindex.asp

「キリストはユダヤ人だ」というのは救世主派ユダヤ教徒の口癖だが、Chick Publications(www.chick.com)のサイトにいくと強力で多彩なマンガブックレットたちがイエス・キリストにとってユダヤ人やイスラム教徒、モルモン教徒、カトリック教徒、それにフリーメーソンがどんな存在なのかをあきらかにしてくれる。たとえば『Love the Jewish People』というパンフレットでは反ユダヤ主義の国々に神が罰を与えることを読者に警告し、いっぽうで『Where's Rabbi Waxman』という別な本ではひとりのラビがイエスを自らの救い主と認めなかったことによって地獄に落とされる様が描かれる。しかし別な正統派ユダヤ教徒はイエスに祈ることで生命の書に名を刻まれる。
 ジャック・チック(Jack Chick)は絵で悪魔と炎の湖に投げ込まれる魂を描き、彼のプロパガンダはすばらしい反響を呼んだ。そんな彼の自伝に次のような一節が含まれていても特に驚くには当たらないだろう。

 ある日「The Voice of China and Asia」のテレビ伝道師ボブ・ハモンドがジャックにいった。中国で共産主義が多数派になったのはマンガで描かれたパンフレットによる宣伝があったからなのだと。そのときジャックは神がイエス・キリストの教えを広めるために同じ方法をとるように自分を導いているのだと感じた。
(「Operation Good Fences: Keeping Jews and Evangelical Christians Good Neighbors」、http://www.omdurman.org/fences.html

 フレデリック・レアマン(Frederick Leaman)はコミックブックに隠された意味を探る非公式な研究を実施した。彼は大きな街の三軒のドラッグストアでもっともよく売れるコミックブックを聞いて回り、26のストーリーと87のキャラクターからコミックブック世界のグルーピングをおこなった。その大部分は若い白人中産階級のいさかいや競争を描いたものであり、10人中7人のキャラクターが犯罪に手を染めている。そのうちの13パーセントは殺人者である。
(「Mass Media’s Mythic World: At Odds with Christian Values」、http://www.religion-online.org/showarticle.asp?title=1131

 宗教系出版社大手のThe American Bible Societyは正統的な信仰の問題を現代的なグラフィックストーリーテリングの手法で伝える試みをおこなう場としてMetron Pressを設立した。これまでの中で彼らのもっとも成功した試みは『Testament』と題された120ページの物語で、これは旧約聖書の有名な物語をひとりの話し上手なバーテンダーが語る形式で描いたもの。この本は20人のコミックス界の人気アーティストによって描かれ、マーヴルコミックスの『Earth X』(このシリーズでは神、永遠、罪、許しといった問題がXメン、ハルク、スパイダーマンなどのマーヴルの人気キャラクターを通して描かれる)の脚本で知られるジム・クルーガー(Jim Krueger)がライターをつとめる。アートスタイルはアーティストによって様々で、自然主義もあればユーモアもあり、印象派のスタイルや歴史画のスタイルをとっている作家もいる。何人かの作家は宗教画の経験があり、何人かはない。
(「Holy Warrior Nuns, Batman!: Comic books take on the world of faith and spirituality.」、http://www.sojo.net/index.cfm?action=magazine.article&issue=soj0407&article=040738

 現在5冊のコミックブック版聖書があり、私はそのうち3冊を買って重要な部分を読んだ。3冊のうちもっとも厚く、価格も安く、子供たちのあいだでよく知られているのはイヴァ・ホス(Iva Hoth)の『The Picture Bible』だ。この本は長いあいだ大変な成功を収めてきたものであり、プロテスタントの手で描かれたものではあるが、批判すべき点はほとんどなかった。
(「A Catholic Guide to Bible Comics」、http://geocities.com/richleebruce/bible-comics.html




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