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エディター、ディック・ジョルダーノ

 Two Morrows Publishingの『Dick Giordano: Changing Comics, One Day at a Time』(Michael Eury)にパラパラと目を通し、ディック・ジョルダーノはアーティストとしてよりエディターとしてのほうがはるかに重要な存在だったのではないかという思いを強くする。
 もともとこの本は彼のチャールトン時代のキャリアに興味があって買ったものなのだが、読んでみるとDCの編集それもバイスプレジデント時代の話がすばらしくおもしろい。
 ジョルダーノは日本のファンのあいだでは主にバットマン、スーパーマンのアーティスト、それにニール・アダムスの名インカーとして記憶されている人物だが、1980年からはDCコミックスのエディトリアルオフィスの中心人物のひとりとして活動し、ジョー・オーランド、ジャネット・カーン、ポール・レヴィッツとともに80年代から90年代前半までのDCを編集面で主導したキャリアを持っている。本書を読むとポール・レヴィッツ、ボブ・グリーンバーガー、カレン・バーガーなどこの時期のDCの名編集者のほとんどはジョルダーノに仕事を仕込まれたいわば「ジョルダーノスクール」の出身者であることがわかって興味深い。またデニス・オニールやマイク・ゴールド、マーヴ・ウルフマンなど他社ですでに他社で実績のあるエディターやライターをヘッドハントし、非常にうまく使ってもいる。
 感心するのは彼がこの元部下や当時いっしょに仕事をしたクリエイターから非常に真摯な感謝の念を捧げられていることで、あのハワード・チェイキンまでもが故アーチー・グッドウィンと並ぶ「いっしょに働けて幸運だったふたりのエディター」としてジョルダーノに率直な敬意を示しているのは人徳という以外ない。
 もうひとつ重要なのは彼がDCコミックスの作品が急激にモダン化していった80年代、『ダークナイト・リターンズ』や『ウォッチメン』、『スワンプシング』といったエポックメイキングな傑作群の制作にゴーサインを出す立場の人間だった、ということ。しかも彼はまだ家内制手工業的な匂いを残していた80年代初頭から、タイムワーナーグループに組み込まれ、DCが急激に大企業化した90年代前半までをクリエイティブ担当エクゼクティブとして継続して勤め続けているのだ。
 コミックスの内容面での改革を担い、身内意識でなあなあになりがちなコミックス編集の現場に書籍出版の世界などから大量に「プロ」の編集者をリクルートして制作体制を変革し、いきなり親会社になったハリウッド資本の理不尽な要求から現場を守る。「編集者」ディック・ジョルダーノはひとりでこれだけのことをやってのけているのだ(しかもこの間彼はフリーランスのイラストレーター、コミックアーティストとしての仕事もしている)。
 限られたエクゼクティブよるコアミーティングの席に時折編集スタッフを入れるのが「改革」の後押しになると考えたシンクタンクによって、いつもはつんぼ桟敷に置かれているDCのエディトリアルスタッフ全体が呼ばれることがある。1981年の改革は過去十年のこの会社の売り上げデータをもとにした当時DCの親会社だったワーナーパブリッシングから出席したビル・サーノフ(Bill Sarnoff)によって提示された。彼はDCの低迷する売り上げとにもかかわらず好調な自社キャラクターのマーチャンダイジング上のポテンシャルを評価し、ジョルダーノの記憶によれば彼は非常に真剣にこう尋ねた。
「『私たちはスーパーマンのライセンスを卸すためにスーパーマンのコミックスを刊行し続けなければならんのかね?』彼はこの会社にコミックブックの刊行をやめさせようとしていたんだ!」
 DCはここでコミックショップ限定で買いきりベースで新刊を刊行するダイレクトマーケット流通の可能性を探る決断をせざるを得なかった。ジョルダーノはDCが内容面でもフォーマット面でもコミックス制作における新しい可能性を追求するよう熱心に勧めた。1981年7月DCは試験的にマーシャル・ロジャース脚本、ブライアン・ボランド作画、表紙をマイクル・カルタのゴージャスなペイントアートが飾った『Madame Xanadu』1号をダイレクトマーケットで販売することにした。この本は満足すべき売り上げを示し、DCはもっと別のよりメジャーな性格のダイレクトマーケット限定タイトルの企画を始めた。
(「chapter three: Making the Rules」)

 DCがダイレクトマーケットに進出した経緯。

 ジョルダーノはビジネスのついでにカリフォルニアのミラーの家に出向き、(『ダークナイト・リターンズ』)最終号のプロットについて話し合った。
「ポール(レヴィッツ)は私にいかにミラーの方法論がひどいものかを力説した」ジョルダーノはいう。
「ポールは私に暴動のシーンを読んで聞かせ、私はフランクにそれを読んだ」フランクとディックのあいだには亀裂が生じ、ミラーによればジョルダーノは「私にできることは、自分にはもうダークナイトの編集はできないと認めることだけだ」といい残して去り、3号からは『デアデビル』時代のエディターであるデニス・オニールがあとを引き継ぎ、最終号ではリチャード・ブルーニングが連絡役をつとめた。ジョルダーノによればせめてもの幸いは彼もミラーも彼らにはこの事件を知らせなかったことだという。
(同上)

 『ダークナイト・リターンズ』を巡るミラーとの確執、ジョルダーノが割りと古いタイプの倫理観を持った作家であることがわかるが、同時に編集者として「わからない作品」と判断したうえで自分は降り、作者の意向に沿った形で続けさせる柔軟性があることもわかる。

 ジョルダーノはこのコンセプトにはひきつけられたが、この作品にチャールトンのキャラクターを使うことには強い抵抗を感じた。
 彼はロンドンのムーアに電話するとこう説得した。
「アラン、私たちはこのキャラクターたちを代価を支払って買ったんだ、君はその一人を殺すように求めている。それじゃあ君は誰か別な家の庭に行って遊ぶのに自分以外は遊ばせないといっているようなものだ。君がこのキャラクターたちにやらせようとしていることはエキサイティングだ、だが君がやろうとしているようなことは誰も遊んでいないような庭でやるべきことじゃないだろうか。なぜ君は私たちがアラン・ムーアのものだといえるような、まったく新しい、異なった世界観のものをつくりだそうとしないんだね。彼はチャールトンのキャラクターを使いたがっていたから、最初のうちは抵抗があるようだった」しかし、けっきょくムーアは諒承し、物語を適切なかたちにつくりなおした。
(同上)

 最初チャールトンのキャラクターを使って構想されていたアラン・ムーアの『ウォッチメン』が完全なオリジナル作品になった経緯。ムーアはなにかのインタビューで「DC側でチャールトンのキャラクターに対しては別な企画があったので拒否された」といった意味のことをいっていたが、これを読むとけっこうニュアンスが違う。
 ジョルダーノとしては、チャールトンのキャラクターへの愛着も大きかっただろうが、「素材とテーマがミスマッチだ」という感覚が強かったのだろう。もっともそのミスマッチも狙いのひとつだったからムーア側でも抵抗したのだろうが。

 信じがたい笑い話としてディックはワーナーブラザースがコミックス業界誌『Comics Buyers Guide』の購読申し込みを拒否したことを挙げる。
「連中は『Variety』と『Hollywood Reporter』の購読しか認めないというんだ」
 ジョルダーノは彼の窮状に同情したCBGの発行人マギー・トンプソンが示してくれた温情にいまも感謝している。
「彼女は私に生涯の無料購読権を与えてくれたんだ」
(同上)

 ワーナー傘下になってからの変化にまつわる笑い話。セコすぎるだろワーナー、っていうかバラエティーもハリウッドリポーターもコミックス業界と何の関係もないのだが。




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