プレイ日記 > 英雄集結 > 董卓 > 上級 > 魔王董卓の殺伐たる天下取り 第3部

<ここまでのまとめ>
梟雄董卓に率いられた騎馬軍を用いて、何人の武将を殺せるのかをテーマにプレイ日記を書いています。
縛りは以下の通りです。
1、捕まえた武将は一発登用に応じない限り基本的には処断する
2、しかし相性が125~25の武将は3人まで捕虜にでき、1度だけ登用を実行可
3、相性が125~25の武将で登用に失敗した場合は即解放し、再び捕らえた場合は即処断
4、褒賞は半年に1度で、裏切った武将は優先的に捕獲を狙い、捕らえたら即処断
5、主将にはできる限り李儒、華雄、徐栄、李傕、郭汜、樊稠、胡軫、李粛らの初期メンバーを使う
6、鍛冶はたてない(兵器は木獣と井闌1台ずつ使用中、増やす予定はなし)

251年からここまで12年の間に殺した武将は150人で、以下の人たちが封神台ならぬ封将台に入っています。
(犠牲者リスト、すべて処断or戦死した順)
廬植、王匡、馬休、馬岱、馬騰、馬超、馬鉄、馬雲緑、楊氏、韓遂、龐徳、龐会、梁興、張横/朱儁、皇甫嵩(戦死)、成宜、楊秋、李堪、王伉(戦死)、張嶷、楊柏(戦死)、馬玩、羅憲、程銀、侯選、秦宓、呂凱、楊任、楊松、陳寿/陶謙、廖立、董承、何進、呉巨、張松、郭攸之、劉諶、劉岱、王渾、向寵、荀顗、荀勗、王業、藩濬、閻行、馮習、李氏、司馬昭、司馬伷、孔伷、樊建、傅士仁、濮陽興、毌丘甸、楊肇、馬謖、司馬師(戦死)、申儀/王允、陳到(戦死)、毌丘倹(戦死)、袁遺、顧譚、何晏、司馬攸、司馬炎、楊済、程昱、夏侯威、典韋、司馬懿、司馬孚、司馬朗、司馬望、周旨、羊祜、張春華、王淩、辛毘、呂虔、高堂隆、王祥、王惇、何植、劉辟、王韜、丁儀/関彝、夏侯淵、夏侯恩、曹洪、夏侯和、夏侯恵、傅巽、橋瑁、陳珪、鮑三娘、徐庶、雷銅、呉蘭、劉封、劉琦、鄧芝、陳震、★馬邈(戦死)、曹昂、曹丕、曹植、夏侯徳、万彧、陳登、董厥、呉班、黄忠、黄月英、蒯良、許靖、黄祖、劉琮、趙累、趙範、黄皓、孫皓、曹純、曹爽、裴秀、高幹、劉璿、張紹、沮鵠、呂曠、袁紹、袁熙、袁尚、劉氏、沮授、審配、麹義、辛評、高柔、呂威曠、眭元進、張邈、藩鳳、穆順、曹豹、鄒靖、王桃

(指名手配)なし

全武将の4分の1を殺したことになります。おそらくみなさんのお好きな武将、お気に入りの武将が入っているかもしれません。ごめんなさい。これからより増えていくと思いますが、ご了承くださって、お付き合い頂ければうれしいです。

(董卓軍武将名簿)
董卓、李儒、李傕、郭汜、華雄、徐栄、樊稠、胡軫、董旻、牛輔、李粛(明鏡)、董白、成公英、陸凱、楼玄、張球、張承/胡遵、閻圃、張衛、張魯、徐質(猛者)、費耀(猛者)、楊昂(猛者)/胡車児、李通、于禁、邵悌(威圧)、張繍、賈詡、鄒氏、張済/桓範、蘇飛、国淵、韓忠、歩隲、諸葛誕、蔡琰、左奕、崔林、董昭、夏侯玄、賈充、太史慈、太史享、温恢 /張梁、杜預、楊阜、孫仲、鄧茂、韓徳、張闓、朱異、謝旌、留賛、毌丘秀、鍾毓、張緝、張悌、王異、凌統、劉度、賈華、吾彦、楊奉、公孫康、陳矯、楊祚

董卓軍忠臣メンバー能力表(緑字は育成による上昇を含んで成長した数値、赤字は純粋に成長した数値です)
名前 統率 武力 知力 政治 魅力 特技 騎馬 コメント                         
董卓 81(7) 95(8) 69 20(1) 57(20) 徴税 A 悪路王と勝手に綽名する。魅力が低いせいか忠臣以外の武将の忠誠が下がりやすい気がする
李儒 71(10) 26 95(2) 82(7) 38 徴収 A 董卓様の懐刀。統率を上げて戦う軍師に変身。前半の内政が彼頼みだったので政治が伸びすぎ
李傕 76(8) 80(8) 24 1 17 S 舞頸の李傕と綽名する。統率の高い敵将にも突撃しまくって戦死を狙い、敵味方構わず兵を減らすため
郭汜 76(12) 79(3) 14(1) 14 13 A 騎馬だけでなく木獣隊も率いる。彼を使っていると能力値70のありがたみに気付かされる
華雄 83(2) 95(2) 67(11) 41(1) 57 猛者 S 我が軍の急先鋒、天空星華雄。彼が一番武将をひき殺し、捕獲し、処断しており、冥府への送り手
徐栄 83(3) 79(3) 67(11) 44(1) 42 長躯 S 華雄と並んで頼りになる将。第2師団を率いて南方で戦う。今後、彼を用いた別の作戦を考案中
胡軫 78(13) 82(8) 12 15 21 疾走 S 前半は留守番が多かったが、最近成長著しい。俺の騎馬戦法は一味違うぞと言いながら突撃する男
樊稠 78(12) 75(2) 31 25(1) 39 A ここまで目ぼしい活躍はないが、彼だけ水軍をAに育成したので南部制圧で出番が来るだろう
李粛 47(1) 71(2) 60(1) 19(4) 36 明鏡 A 「明鏡」をつけて華雄の副将をつとめる。おかげで結構能力値が上がっている
董旻 50(1) 77(17) 26(1) 16(4) 23 A 兵器をAにして井闌隊を率いている。兵器は武力があればいいので統率はいらないことに気付いた
牛輔 39(1) 78(18) 21 27(1) 37 A 武力を育成して一騎打ちの後詰要員だったが、諸葛誕と義兄弟になったので今後の活躍に期待
張済 71(1) 76(10) 52 53 55 連戦 A 能力に穴がなく使いやすい。張繍軍時代に武力と特技を育成されていた模様。イケメン

第3部 「南船北馬、いや南騎北馬」

第6回

ようやく半分近い城を攻略することができました。
私はダラダラと長い文章を書いてしまうので、読みにくく分かりにくいプレイ日記になってしまっておりますが、ここまでお読みいただいた皆様に感謝したいと思います。
出来るだけ戦死を発生させようと日々突撃を繰り返しておりますが、なかなか発生せず、プレイ日記も盛り上がりに欠けているように思います。
何卒ご容赦ください。
ここからは出来るだけ分かりやすく、面白く書けるように努力いたしますので、先が気になるという方がいましたらどうぞお付き合いください。
それでは董卓軍のプレイ日記を書いていきたいと思います。

264年1月

鄴にて・・・
董卓「ううむ、爽快であった。いくつもの戦に勝った、そしてたくさんの敵将も斬った」
張済「はい、おめでとうございます。たったの1戦で敵軍を滅ぼしましたからな」
董卓「しかし、乱世とは何があるかわからんもんじゃな。あの袁紹がこうも簡単に滅ぶとはの」
賈詡「さようでございますな。しかし、それほど公孫瓚は手強いということでしょう」
董卓「公孫瓚も騎兵で有名じゃな。我らは勝てようか」
賈詡「公孫瓚軍は南皮、晋陽に兵を集めており、今は平原城で呂布軍と争っているようです」
張繍「さらに公孫軍の騎兵は白馬ばかりで、その白馬を活かした騎射が強力であると聞きます」
董卓「ふむ、だがそれは逆に肉薄すれば対抗できるということじゃな」
華雄「左様でござります。白兵によるぶつかり合いでは我が軍の方が上かと」
賈詡「しかし我が軍は遠征の途上で、兵の補充ができません。向こうは大軍を擁しています」
董卓「そうは言っても我らではとても内政などやってられんぞ」
華張太「・・・(こくこく)」
賈詡「わかっております。ですから敵の意表を突き、このまま進軍しましょう」
太史慈「おお・・・」
賈詡「まずは晋陽です。あの辺りの地勢に詳しい張燕殿と私で鄴の北から常山周りで攻め入ります」
張燕「おう、お任せを」
董卓「なるほどのう、お主らが城から敵を誘き出している間に我ら本隊が南から攻める、と」
賈詡「左様でございます。鄴の守りには張済殿の部隊を残し、全力で敵を討ちましょう」
董卓「よし、参るぞ皆の者、敵の騎兵を殺しつくしてやれ」
華張太「おおー」
賈詡「・・・(さて、南はどうなることかな・・・)」

そのころ新野では・・・
胡軫「むむむ・・・」
樊稠「ん・・・、おや、どうなされた胡軫殿」
胡軫「おう、樊稠殿か。貴殿は歯がゆくないのか、我らはこの城に取り残されてしまったのですぞ」
樊稠「・・・(何やら前にもこんなことがあったような)、えーと、それはどういうことでござる」
胡軫「よいか、今や我ら南方軍の前線は襄陽と江陵で、この新野は補給中継都市に過ぎないのだ」
樊稠「ふむふむ・・・(・・・あ、長安の時と同じだ)」
胡軫「その我らができることは江夏城を攻めることしかないのだ」
樊稠「なるほど、江夏の城は河から攻めることができますな。しかし肝心の船がないでござる」
胡軫「ふふふ、安心めされよ、既に造船が得意だという許攸という者に命じて船を用意させているのだ」
樊稠「おお、となると出撃できますな。それがしはこう見えても水軍には自信があってござる」
胡軫「では早速、徐栄殿も呼んでくるとしよう。参りますぞ樊稠殿」
樊稠「応っ」

さらに同じころ、江陵城では・・・
李儒「ふふふ、これからだ、これからなのだ・・・(ブツブツ)」
李傕「おう、軍師殿。どうなされたのだ」
郭汜「何やら考えごとをなされていたのか軍師殿」
李儒「おや、李将軍に郭将軍か。私はもう軍師ではないのだよ。それでも、これからの戦略を考えておったのだ」
李傕「ほう、それはどのようなものなんだ軍師殿」
李儒「もう軍師ではないのだがな、私が思うに劉備軍はこの江陵城に遠からず押し寄せてくるであろうと思ってな」
郭汜「そ、それは困るではないか軍師殿」
李儒「まぁ私は別に軍師ではないのだがな、我らはこの城をあけわたして、劉備軍が入城したところを襲おうと思うのだ」
郭汜「なるほどなぁ軍師殿。って・・・え、一度城をとらせるのか軍師殿」
李儒「・・・(人の話を聞いておるのかタコ助どもめ)」
李傕「城を取らせてすぐに取り返せるのか軍師殿」
李儒「大丈夫じゃ。李傕殿が江陵の主将でいると城の耐久は回復しないから楽に攻められるのだ」
郭汜「そ、そうなのか。それは名案だな軍師殿」
李儒「その後は兵力の減った劉備軍の都市を襲えばよい。董卓様は内政より城の数をお求めだからな」
郭汜「それなら俺らの出番は多そうだな軍師殿」
李儒「左様。期待しておりますぞ、董卓軍の双璧と言われるお二人に」
李郭「おおうっ」
李儒「ふふふ・・・(そして私も軍師の座に返り咲くのだ・・・)」

というやり取りが各地であったと思われるので、今回は
  • 「董卓千里行」、「胡軫船下江」、「李儒荊南攻」
の3本をお送りしたいと思います。ちなみに能力研究ですが「水神」、「洞察」、「指導」が出ており、「指導」を研究しました。

264年1月

 この頃、紙芝居でもお分かりかと思うが我が軍は大きく3つに分かれていた。
鄴の董卓軍本隊、新野にいる徐栄の第2師団、襄陽と江陵の李儒、李傕、郭汜らの第3師団である。
 襄陽は南へ攻める拠点なので少しずつ内政を行っており、鄴では兵舎だけ立てて城兵の確保をして、馬は洛陽からの補充を待っていた。
新野では新たに蒋欽と厳畯、さらに「造船」もちの許攸が加わり、前回に捕らえた呉将たちと合わせて水軍の準備をしていた。
 順番に詳しく見ていきたい。

 鄴の董卓本隊は張済隊を城の守りにおいて、休む間もなく晋陽を攻めることにした。
晋陽には60000の兵がいるので、「釣り」を使うことにした。
  • 先鋒 張繍+徐質+鄒氏7000騎、華雄+李粛+州泰(騎神)8000騎、太史慈+太史享(連戦)+王異(指導)7000騎
  • 本隊 董卓+張球+楊奉(連戦)10000騎、董旻+歩隲 井闌8000
  • 別働隊 賈詡+張闓6000騎、張燕+楊阜+楊祚(築城)7000騎
王異は特技を書き換え、楊祚には「築城」をつけ、州泰は劉備軍から新たに引き抜いた武将だ。
先鋒と本隊は壺関から晋陽をつき、別働隊は晋陽の東から攻めて敵をおびき寄せる。
 壺関は賀斉将軍が6000で守っていた。
しかし井闌隊があっという間に関を落とす。ここでは誰も捕まえられず。
 関を抜け、上党のあたりを北上すると晋陽の難所の一つである陽曲の一本道にさしかかる。
ここには公孫瓚軍による董卓軍歓迎委員会が熱烈な歓待をしてきた。
それは先の賀斉、そして公孫続、龔都、傅彤といった猛将たちであった。
 一方の別働隊の方にも敵部隊が迎撃に出てきていた。こちらは公孫範、朱霊、孟宗、文虎らである。
それぞれ4000~5000ほどである。とにかく賈詡と楊阜で攪乱を行って足止めをする。
その間、本隊は一本道の敵と一進一退を繰り返していた。が、我が軍はここで新兵器を投入したのだ。
そう、技巧研究によって開発された豪火球である。これを一本道に向けて発射する。
これで敵軍は大きな被害を受け、敵将龔都は一発目の火球で戦死。
火勢が衰えたところへ張繍が突撃して傅彤隊を撃破、主将傅彤を捕らえて処断。
次いで公孫続隊も張繍隊が撃破して、副将の韓莒子を斬った。
賀斉隊も倒すといよいよ城に取りつき、ひと月で陥落させた。
 ここでまたも賀斉と公孫続を逃したが、荀諶と魏攸の2人を処断して、賈範を捕虜にした。
別働隊では張燕が混乱した朱霊を一騎打ちで倒して処断し、賈詡が孟宗と文虎を捕虜にしていた。
挟み撃ちに行った華雄隊が公孫範隊を撃破し、晋陽は董卓軍のものとなった。

 新野では造船が行われていて、3隻完成したところで江夏を攻めることにした。
  • 胡軫+費耀(猛者)+朱異9000騎、樊稠+左奕(連戦)+張悌9000騎、徐栄+楊昂(猛者)+留賛10000騎
で湖陽港を出て河から江夏の内政施設と城を攻める。
 江夏城は「火神」の名将周瑜が20000で守っているが、配下で目ぼしい将は周泰くらいしかいない。
夏口の側の町を壊すと、あわてたように周瑜隊と周泰隊、留平隊が出てくる。
周泰が夏口港に入ったので出口を塞ぎつつ港を落とす。周瑜隊があたふたしている間に江夏城を攻撃。
樊稠と徐栄が周瑜隊の相手をして、胡軫は江夏城を攻撃する。
こちらの2隊はかなりの被害受けたが、その間に胡軫が江夏を落とす。
その後に3隊がかりで周瑜隊と戦うも周瑜は途中で逃走し、留平隊が夏口から出てくる。
これも粉砕して夏口を抜き、とりあえず胡軫ら3隊は江夏城に駐屯することにした。

264年3月

 江陵に向けて劉備軍が出撃したとの報が入る。
永安と長沙から来るようなので李儒をはじめ、以下の軍容で敵をギリギリまで待つことにした。
  • 主力 張梁+賈充8000騎、李傕+孫休(覇王)+毌丘秀(疾走)10000騎、牛輔+諸葛誕8000騎、李儒+胡車児8000騎
  • 後詰 郭汜+陸凱(指導)木獣9000、李通+蘇飛6000騎、凌統+韓徳+温恢(指導)6000騎、張承輸送隊20000
といった面々である。
 やってきたのは趙雲、関羽、張飛などの虎将たちの30000で、我が軍は江陵城を出て長坂の渡で待機。
彼らが無人の江陵城を取って内政を始めたのを確認して襲撃した。
趙雲と関羽は内政をしていたので張飛のみが迎撃にきた。もちろん李儒が攪乱して放置。
2、3ターン経ったところで関羽隊と趙雲隊も出てくる。火球に巻き込みつつ城を攻撃する。
関羽の戟兵、趙雲の槍兵の一撃ですごい被害を受けるも、江夏から徐栄隊、胡軫隊6000が駆けつける。
胡軫の「疾走」が趙雲に決まり、李儒も関羽隊を攪乱させ、殴って火をつける。
その間に郭汜の木獣が火を噴いて江陵城を再び落とす。
捕らえたのは太守の諸葛瞻以下、
  • 董允、譙周、向朗、趙広、郤正、華覈、歩協、滕胤
といった面々で捕虜枠が埋まっているので全員を処断した。
最後に趙、関、張の3部隊をそれぞれ撃破した。

264年5月

 陳留の城は于禁と成公英が留守を預かっていた。

成公英「うーむ、少しまずいな・・・」
于禁「それはどういうわけだ、成公英殿」
成公英「各地から軍を率いている将たちの戦果が聞こえてきます。この陳留にも25000がいますが・・・」
于禁「たしかに我らは戦果がないな。今回まだ戦っていないのはこの陳留以外では許昌の15000だけだが」
成公英「そうです、そして許昌の杜預殿は新参ですが、古参の私としては忠誠を見せないといけません」
于禁「そうか・・・、では良い案がある。今、曹操軍が呂布軍の小沛を攻めているのだ」
成公英「というと、寿春の北の泗水のあたりでぶつかっているのでしょうか。それが何か」
于禁「うむ、実はな、両軍はなぜか譙や梁といった小沛の西側で戦っている。そこに参戦するのだ」
成公英「なんと、それは好機ですね。すぐに参りましょう于禁殿」

ということで何故か兗州付近でぶつかっている曹操軍と呂布軍の戦いに成公英隊8000騎と于禁隊8000騎を参戦させる。
火球で両軍に被害を与える目論見である。
 呂布軍は張遼将軍、張角導師、呂岱提督といった面々。曹操軍の方は徐晃、郭淮、楽進などで、両軍共に精鋭である。
そこへ呂布の同盟軍である我が軍が勝手に参戦し、火球を放った後に突撃するという戦法で曹操軍に襲い掛かった。
曹操軍の部隊は火のついたマスに押し込まれ、火のダメージでかなり兵を損じた。
そうして呂布軍の戟兵部隊と協力し、敵の殲滅に成功。
この戦いで曹操軍の勇将徐晃、郭淮の副将曹髦と曹訓を捕獲して処断した(徐晃は必ず戟兵で出てきて撹乱もきかないので毎プレイてこずる武将)。
また呉の馬忠を登用した。
 成公英と于禁は手柄を上げて無事陳留に帰還できた。

 話は戻って、同じころの晋陽の本隊。
晋陽城を攻略した本隊は晋陽に駐屯せず、鄴にも戻らず、そのまま南皮へ行くことにした。
なぜなら平原城での戦いで公孫瓚軍は呂布軍に負けて城を取られただけでなく、南皮からの平原奪回軍も退けられたため、南皮城の兵力が手薄になっているためである。こちらは以下の兵力である。
  • 先鋒 張繍+徐質+鄒氏6000騎、華雄+李粛7000騎、太史慈+太史享(連戦)+王異(指導)7000騎
  • 本隊 董卓+張球+楊奉(連戦)8000騎、董旻+歩隲 井闌8000
 南皮城には君主の公孫瓚自らが20000で守っている。
我が軍は張燕隊と賈詡隊を鄴の守りに回して、井闌を含めた5隊で攻略に向かった。
迎撃にきたのは張郃、賀斉、傅僉、孟宗らの部隊であった。なかなか手強い相手である。
孟宗は一度捕虜にしたが登用を拒否されたので解放して、再び戦場で見えることとなった。
 7月。両軍は南皮の南西でぶつかった。
まず張郃隊は王異の攪乱で放置。傅僉隊も攪乱し、楊奉の連戦で削る。賀斉隊には張繍隊がぶつかる。
最後に華雄隊が孟宗隊に突撃して、迎撃隊を沈黙させた。
この戦いで傅僉と賀斉隊副将の関靖を斬り、賀斉と牛金を捕虜にした。
 この後2ターンで公孫瓚の守る南皮を落として、以下の武将を捕らえた。
公孫続、公孫範、辛憲英、孟宗、劉巴、梁緒、そして公孫瓚
君主公孫瓚を含む全員を処断した。
これにより公孫瓚軍は公孫越が継ぐことになり、数人の武将が下野したようだ。
結局、公孫瓚自身とは戦場で戦わないまま斬ったので敵の騎馬隊とはぶつからなかった。
最後に張郃隊を全部隊で叩いて壊滅させ、張郃は北平に退いた。
 さすがに兵も減ってきたので、このあたりで鄴から輸送隊を出して補給させることにした。
渤海の北、天津近くの渡のあたりで董卓軍本隊は陣と軍楽台を作って駐屯させた。

264年7月

 江陵の第3師団は公安港から兵力25000の武陵を攻めていた。
  • 先発 張梁+賈充9000騎、李傕+孫休(覇王)+毌丘秀(疾走)12000騎、牛輔+諸葛誕9000騎
  • 本隊 郭汜+陸凱(指導) 木獣10000、李儒+胡車児9000騎、李通+蘇飛6000騎
  • 後詰 凌統+韓徳+温恢(指導)6000騎、張承輸送隊10000
 武陵からは王平と張翼、周泰が迎撃に出てくる。
武陵近辺は平地が狭くて森が多いため、騎兵の力をうまく発揮できなかった。それでも張梁隊の「妖術」で混乱させて敵部隊を撃破できた。
良将王平を斬った後、郭汜隊が武陵城を落とした。
  • 張翼、孫乾、沙摩柯、諸葛喬、孫魯班、周泰
といった武将たちを捕らえ、孫魯班と周泰を捕虜にして残りは斬った。

264年10月

 この頃の我が軍の人事では既に牛金、周泰と孫魯班は登用できていた。また賀斉は脱獄していた。
さらに鄴では在野の黄巾将たちを盛んに登用して、何儀、程遠志、高昇、張曼成の4人を得ていた。

 さて、その鄴は賈詡が新加入の将たちを使って徴兵し、洛陽から補給も受け、平和であった。
がしかし、ここに急を告げる斥候からの伝令が鄴の城門に駆け込んでいた。

賈詡「まずいな・・・、張燕将軍、飛燕の張将軍はおられるか、それから張済将軍も」
張燕「・・・おう、何事かあったか軍師殿」
賈詡「今、見張りから連絡があってな、薊の60000のうち40000が晋陽へ出撃したそうだ」
張済「ほう、それは大軍だな。だが董卓様には支障はないな。晋陽の兵力はどれくらいなのだ」
賈詡「0だ、一兵もおらん。晋陽は放棄してきたのだ張済殿」
張済「なんと。ではどうするのだ、その大軍と晋陽は捨て置くのか」
張燕「いや、今ならまだ討つ機会があるぞ。あの中山のあたりは道が狭く1部隊しか通れんのだ」
賈詡「よし、ならば討てる。すぐに出撃だ、お二人とも用意を」
張済「だが南皮へ兵を輸送に出したばかりで、この鄴には兵が18000騎しかおらんのだぞ」
賈詡「大丈夫だ張済殿、兵が足りない分は金と手間で補うのだ・・・(ニヤリ)」

ということで、賈詡、張燕、張済の3隊はすぐさま鄴から北へ向かい、薊の部隊を襲うことになった。
 作戦は一本道の出口にひたすら豪火球を作り、敵部隊にまとめて被害を与えるというもの。
これによって敵軍は莫大な被害を受け、特に先頭を進んでいた敵将丁原は焼死してしまった。
恐るべし、豪火球。早くも2人目の犠牲者である。
それでも8部隊兵力40000を我が軍は5000ずつの3隊で迎え撃つため、どうしても突破されてしまう。
だがそこを張燕が突進で押し返すという二段の構えであった。
さらには最後尾を進む敵将公孫恭の忠誠が下がっていたので、これを寝返らせることに成功した。
しかし戦場の周囲には森が多く、騎兵戦法が使えないことも多く、最後は凄惨な叩き合いになった。
張燕が敵の宿将厳綱を討ち取り、張済も劉和を斬った。賈詡は孫観を捕虜にした。
 こうして薊の敵部隊を全滅させたが、我が軍も最後は3隊あわせて7000ほどであった。

 同刻、本隊も南皮で補給が終わり薊と北平に向けて進撃を開始していた。
薊からは最後のあがきとして王門と鄒丹が、北平からは田予が先鋒で張郃、李厳、賀斉、田楷などが出てくる。
華雄隊と張繍隊が薊の2将を撃破して斬り、董旻隊がほとんど空の薊を攻撃して落とす。
薊の城では張南、田疇、単経を斬った。
 一方で北平へ向かう易京の隘路では押し合いの混戦になっていた。
ここで鄴からそのまま援軍に駆け付けた張燕隊の突破により、田予隊の副将張華が戦死する。
さらに太史慈隊が田予を討ち取り、董卓軍は北平の西の平野を目指した。
敵軍にはなかなかの将が揃っており、これが公孫軍との最後の激しいぶつかり合いとなるだろう。

265年1月

 両軍の戦闘が始まった。
董卓軍6隊50000と公孫越軍5隊40000が正面からぶつかる。
井闌の董旻隊は待機しているので実質同数での戦いである。
 まず張燕隊がいく。次いで太史慈隊。そして董卓隊。一気に押し込んでいけるのは騎馬突撃の醍醐味である。
敵の先陣の張郃隊と李厳隊を突き抜け、挟み撃ちの格好を取る。騎兵はこの戦術が強い。
張郃は再び攪乱させ放置、李厳隊の兵を削る。この間、賀斉隊の火矢が痛い。
張繍が李厳隊を倒して李厳を斬り、華雄隊も田楷隊を撃破して田楷を処断。賀斉を囲んで倒し、捕獲。
後から出てきた公孫越隊を撃破し、最後に張郃隊を倒して張郃を捕虜に。
この戦いの間に楊奉と州泰が寝返ってしまう。「騎神」もちの州泰の離反は痛い。
 この後、北平の城を落とし、公孫越、蒋義渠、州泰、陳蹇、公孫度、孫礼、顧雍を捕らえた。
陳蹇と孫礼、公孫度は登用に応じ、顧雍を捕虜にして、残りは処断。
公孫越が死んだので君主にはなんと楊奉がなった。これによりまた数人が下野した。

265年4月

 まさに騎虎の勢いで我が軍は襄平の城に迫った。
軍勢を2つに分けて張燕、華雄を先行させ、残りは大遼水の渡を越える。
張燕らは襄平の北、玄莵のあたりで智将田豊率いる5000とぶつかる。
「猛者」で負傷させて、あっという間に撃破。あわれ忠臣田豊は主君の仇も取れず、遼東に散った。
 本隊がわずか4000の襄平城を落とす。
田豊が死んだ襄平には楊奉と季雍という武将の2人しかいなかった。
両名を斬り、ここに旧公孫瓚軍は滅亡した。
 こうして董卓軍は平原城をのぞく河北の討伐に成功し、またまた董卓様の官職があがるのであった。

今回の犠牲者 49人
  • 龔都(戦死)、傅彤、韓莒子、荀諶、魏攸、諸葛瞻、董允、譙周、向朗、趙広、郤正、華覈、歩協、滕胤、徐晃、曹髦、曹訓、傅僉、関靖、公孫続、公孫範、辛憲英、孟宗、劉巴、梁緒、公孫瓚、王平、張翼、孫乾、沙摩柯、諸葛喬、丁原(戦死)、厳綱、劉和、王門、鄒丹、張南、田疇、単経、張華(戦死)、田予、李厳、田楷、公孫越、蒋義渠、州泰、田豊、季雍、楊奉

新加入 17人
  • 厳畯、蒋欽、許攸、文虎、賈範、牛金、孫魯班、周泰、何儀、程遠志、高昇、張曼成、公孫恭、孫観、陳蹇、孫礼、公孫度


第7回

前回は河北制覇を全部書いたので、とても長くなってしまい大変申し訳ありませんでした。
今回も前回の続きで南征が中心ですが、いよいよタイトル通りいろいろ殺伐としてきました。
これからもお付き合いくだれば幸いでございます。

鄴にて・・・

牛輔「公就任、まことにおめでとうございます、董卓様!」
董卓「おお、おうおう、感謝するぞ皆の者、まことにめでたい、めでたいことじゃ」
賈詡「皆の者、これからはもう董卓様とではなく、董太師とお呼びするのだ」
華李郭徐「おおー、董太師、董太師!」
董卓「くるしゅうない、くるしゅうないぞぉ皆の者」
李儒「(ぐぬぬ、賈詡め、わしも今言おうと思ったのに・・・)」
張済「董卓様…いや董太師、いま鄴の農民が銅雀を見つけたとの報告がっ」
賈詡「銅雀ですか。むむ、これは吉祥瑞祥でございますな」
胡軫「公就任のこの時にかような瑞祥が見つかるとは、太師のご懿徳によるものかと」
董卓「うむうむ、すぐに銅雀をまつる台を築くのじゃ」
李儒「(ぐぬぬぬぬぬ、おのれ胡軫め、今わしが言おうと思ったのにー)」
董卓「よしよし皆、いまは大いに飲んで騒いでくれ。だが、また明日からはいくさじゃ、頼むぞ皆の者」
一同「おおーっ」
わいわい…

というわけで北をとった我が軍は南に向かい攻め入るのでありました。
他勢力はというと、
呂布―平原、北海、下邳、小沛、濮陽。劉備―永安、零陵、桂陽、長沙、柴桑
王朗―建業、呉、会稽。鄧艾―成都、江州。孟獲―建寧、雲南。袁術が廬江、曹操が寿春、鍾会が梓潼。
我が軍は鄴、江陵、武陵に60000~70000の兵が集まっており、その他は陳留と江夏に20000ほどで、それ以外の町は5000~8000の守備兵がいるくらい。
河北は鄴以外は兵0で将も0で放棄しています。つまり内政をやっていられないので少数精鋭でいくしかないという状況です。

265年4月

 南の拠点、武陵。
 武陵の内政、軍事施設建設がひと段落つき、再び進撃を開始することにした。
第3師団は凌統隊と張承隊を武陵に残して、李傕、郭汜、李儒、牛輔、張梁などが40000で向かった。
 零陵には3人の欲しい将がいる。魯粛、王双、そして孫策である。城は兵力が18000しかないがその3人には油断はできない。
迎撃には孫策隊と馬忠隊、魏延隊が出てきた。魏延は李儒により盆踊りをさせて撃破、次に馬忠隊を集中攻撃して撃破。
馬忠を斬って、意中の王双を捕虜にする。
だが張梁隊の副将賈充が途中で劉備軍に寝返っていたので「妖術」はほぼ封じられてしまった。それでも郭汜隊の木獣が零陵を落とした。
太守の魯粛、孫朗、孫匡、樊氏、馬遵、陸鬱生といった武将を捕らえたので、魯粛と陸鬱生の二人を捕虜にし、残りは斬った。
 さて、問題は孫策隊である。小勢で副将はいないが戟兵なのでめちゃくちゃ強い。
なんとか李儒の攪乱がきいて全軍がかりで倒したが、被害は大きく、肝心の孫策も逃してしまった。

265年6月

 寿春の曹操軍が王朗と呂布によって2方面から攻められていた。
我が軍は漁夫の利を狙って、陳留の于禁たちを寿春に向かわせることにした。
まず王朗軍が江都港方面から20000がはるばる来ている。一方で小沛からは呂布、張遼、張宝などの精鋭が25000ほど。
対する曹操軍は40000ほどだが、そのうち10000は濡須港に駐屯しているので実質30000。
曹操の主力部隊は夏候惇、夏候覇、郭淮、呂蒙、曹彰などの精鋭。
両軍は北の渡しで呂布軍とやりあっていて、早速、呂布の突撃で曹操軍の卞喜を轢殺していた。
 ここに于禁隊10000、成公英隊10000、馬忠(呉)隊6000も参戦する。
必殺の火球攻撃により夏侯覇隊副将の楊修が戦死。
夏侯覇隊を壊滅させ、副将の曹宇を斬ったことで、ついに攻め手は寿春北の渡しを突破した。
すぐさま寿春城の北で乱戦となったが、なんとここで王朗軍が水門を破壊。
呂布軍は張宝隊が全滅し、我が軍も馬忠隊と成公英隊が全滅という憂き目に。
最悪なのは曹操軍で、主力部隊が全滅して城壁もボロボロ、あの曹操もここまでであった。
 呂布軍の文欽隊が寿春を陥落させ、曹操軍は滅亡。多くの武将が呂布に召し抱えられることとなった。
ちなみに王朗軍は呂布隊と張遼隊にボコボコにされて全滅しました。

265年8月

 襄平からの輸送部隊が到着し、ようやく鄴に本隊の軍勢が揃った。
この間に鄴城の内政と在野になった旧公孫瓚軍の武将の賀斉と張郃を登用していた。
用意が整ったところで我が軍は呂布軍との同盟を破棄。渡しで待機させていた本隊で一斉に平原城に攻めかかる。
  • 先鋒 張繍+徐質(猛者)+鄒氏12000、華雄+李粛(明鏡)+賀斉13000、張燕+楊阜(指導)+賈範(火神)11000
  • 本隊 董卓+張球+楊祚(築城)13000、太史慈+太史享(連戦)+王異(指導)11000、張郃+孫礼+牛金10000
  • 兵器 張済+歩隲+文虎10000 輸送隊 何儀(運搬)1000、高昇(運搬)1000
平原の太守は張楊で、兵も12000ほどだったので迎撃にきた宋謙を斬って、あっという間に陥落。
張楊は逃したが、城にいた逢紀、陸績を斬った。

 9月。本隊には兵糧輸送部隊をつけて、平原を取った勢いで北海城を目指す。
北海の太守はなぜか夏候尚で、配下も少なく、兵も15000ほど。
どうやら呂布軍は王朗軍と江都港のあたりの水上戦に人を割いていて、北は油断していたようだ。
さらに寿春の呂布軍本隊は大量に捕獲登用した旧曹操軍の武将たちの俸禄にも苦労しているようだった。
早速、迎撃にきた夏侯尚と卑衍の部隊を2隊を撃破して、2将を斬り、北海城を攻める。城には張楊などがいたが、やはりすぐに陥落。
またも張楊は逃すも、婁圭を斬った。

 12月。いよいよ敵軍の一大拠点である下邳を目指す。
下邳には40000の兵がいて、おそらく迎撃には30000がでてくるはずなので、こちらも同数で出陣。
上記の編成の中から、張燕隊12000、太史慈隊10000、張郃隊10000を出すことにした。
しかし下邳。この城にはあの武将がいたのであった。
侵攻を知らせる伝令が走り、下邳城の廊下を駆けていく。

張楊「急報でござる、急報でござる!」ドタドタドタ
侯成「なんだなんだ、ご城主の前で騒々しいですぞ、張楊殿」
張楊「それも当然でござる。ついにこの城に董卓軍が押し寄せてきたようなのですぞ」
侯成「な、なんと、ついにか……(振り向きながら)どうなさいますか、ご城主」
??「……フン、もちろん楽しませてもらう」

というわけで下邳城の北で戦闘開始。
張燕「やあやあ、我こそは張飛燕なり!」
太史慈「我らが騎兵の動きについてこられるか!?」
侯成「くっ、我らではかなわぬか…、ご城主、お願いいたす!」
張燕「……ぬうう、なに、まさか…」
呂玲琦「……涼州の騎兵か、できる、と聞いている。楽しませてもらうぞ」
太史慈「女…だと…」
呂玲琦「フン…、おい貴様、準備できているな?」
曹彰「応っ、当たり前よっ、いくぜっ」
張燕「し、『疾走』はまずい…。しかも2人だと…?」

りょ、りょ、呂玲琦だー。
敵軍は呂玲琦と曹彰を寿春から急遽下邳に回したらしく、2将が騎兵で出てきたのだ。彼らの『疾走』により我が軍は混乱。
部隊数は向こうの方が多いので被害も甚大。董卓騎兵軍は初の敗北を喫し、30000の兵が半分ほどに討ち減らされ、北海城に撤退した。
この敗北により本隊の侵攻は遅鈍することとなってしまった。

(ちょっと遡って)265年7月

 零陵の李傕、郭汜、李儒らは桂陽を攻めていた。
上記の編成に加え、張承隊7000も補充して桂陽の19000と当たる。数はこちらの方が50000と多いのだが、敵は猛将ばかりである。
太守の孫堅をはじめ、孫策、黄蓋、韓当、呉懿、王濬、賈逵といった者たちが次々に迎撃にくる。
しかも戦場は森が多く、一本道でしか戦法と火球が使えないという地勢。
自分たちより能力が上の人たち相手に正面から殴り合いをするという最悪の展開になった。
 結果、50000騎が30000ほどまで討ち減らされたが、こちらも王濬と呉懿を討った。
孫堅隊は李儒で攪乱させ壊滅させたのだが、またしても孫策+賈逵の4000と削り合いになった。
桂陽城は郭汜の木獣隊が陥落させ、孫堅は逃したものの韓当、祖茂、王粲を処断。
最後に全軍で孫策隊に突撃して壊滅させ、賈逵を捕らえて斬った。
また、残念なことに、この戦いの間に「疾走」もちの毌丘秀が劉備軍に裏切っていた。

265年10月

 桂陽を落とした南征軍は気力回復してすぐに、荊南最後の都市である長沙に向かった。
長沙には20000の兵がおり、太守はあの姜維であった。その配下には孫策、程普、黄蓋という呉将と裏切り者の毌丘秀などがいる。
 ここで武陵に残してきた凌統隊7000騎を羅県港から上陸させ、「釣り」をしかける。
長沙からは黄蓋隊5000が出てきた。同時に桂陽から本隊30000も侵攻する。
 ぶつかり合いはまず汨羅の淵で凌統の突撃から始まった。
武力90の凌統の突撃で黄蓋隊副将の施朔が戦死し、2度目の突撃で一騎打ちが発生。凌統が勝ち、黄蓋を捕虜にした。
 長沙城の南でも激戦が始まり、姜維隊、孫策隊、程普隊4000ずつとぶつかる。
特に姜維、孫策は槍兵の突きで1000は減るので脅威であった。
火球と戦法で兵を減らして敵部隊を一掃し、程普を捕らえ、姜維隊副将の裴元紹を斬る。
年が明けて1月にようやく長沙を落とす。
関寧、蒯越、麋竺、そして裏切り者の毌丘秀などの武将をきったものの、やはり姜維や孫策などは捕まえられず。

266年1月

南征の最後は柴桑である。
ここは、江夏に駐屯させていた胡軫らの30000を張悌と屯田もちの国淵らに授け、陸口港に入らせる。
陸口から繰り返し出陣して柴桑の施設を壊し、敵将の周瑜を疲弊させる作戦である。
周瑜が40000で守る柴桑城を落とすのはもう少し先になりそうだ。

 ここでようやく南征にひと段落ついた。
荊南攻めで失った兵力を襄陽で張魯が補充する。それをまず武陵にまわし、長沙の兵力も合流させる。
既にもう次の作戦である。
永安には劉備軍60000と猛将たちが籠っているので正攻法はやめ、周りから取ることにした。
徐栄、胡軫らには漢中から梓潼を通って鄧艾の成都を攻めさせる。
そして李傕、郭汜らの軍団には武陵からはるばる南蛮を攻めさせるという作戦である。

 4月。
 南蛮へは大掛かりな遠征で、時間がかかるので、揃った部隊からどんどん出陣させる。
武陵は捕虜から登用した魯粛と黄蓋、新加入の鮑隆に任せて、主力の全軍で出陣する。
ふた月かかって建寧に入ったところで孟獲軍が迎撃に出てくる。両軍の先鋒が山深い南蛮奥地の牀柯のあたりでぶつかる。
こちらは郭汜、牛輔の20000で、敵は大王孟獲と帯来洞主の2隊18000、やや遅れて花鬘と鄂煥の2隊12000。

孟獲「おい、おまえら、この南蛮に攻めてくるとはいい度胸じゃねえか」
郭汜「おう、貴様らなんぞ我らの敵ではないわ」
孟獲「上等じゃねえか、おまえら絶対に返すわけにはいかねえな!おう、帯来、やっちまえ」
帯来洞主「おうっ!」
牛輔「なんの!このっ」
 という感じで戦闘開始。
最初に突出してきた帯来隊を撹乱からの一騎打ちで牛輔が撃破して、捕獲、即処断。
孟獲隊はなかなか硬く、手こずっている間に敵軍の後続部隊とこちらの李傕、李儒などが追い付く。
花鬘と鄂煥には李儒の偽報で帰ってもらい、孟獲を攻撃。
敵は戟兵なのでこちらもまとめてダメージをもらう。が、なんとか孟獲隊を撃破し、花鬘隊と鄂煥隊においついて殲滅する。
 迎撃を跳ね返した我が軍はここからふた月ほどかけて雲南に向かう。

 ここで少し時間を遡って266年4月の荊北の様子を見る。
 まず襄陽の張魯らが今度は成都攻め用の兵を用意している。
成都攻めには徐栄と胡軫に加え、黄巾の張曼成、北海で登用した管亥を主将に起用する。
また、徐栄の守っていた江陵城は樊稠、李通、臧覇らに50000で任せることにした。
江夏は杜預が5000で駐屯中、宛も吾彦が5000で涼州から来る兵糧の輸送を担っている。
新野でも徴兵と造船を行っており、漢中と汝南、陳留に増派する分の兵力60000をこつこつと貯めていた。
 徐栄らは襄陽と新野から20000ずつ兵を受けて漢中に向かっていた。
その頃、大兵力の新野は董旻が太守として守っていた。

董旻「はぁ・・・ワシの兵器部隊が張済なんぞに回されてからというもの、どうも面白くない」
許攸「おや、董旻どの。どうかされましたかな?」
董旻「いや、新野に来て以来まったく活躍の場がなくてなぁ。兄上はどう考えているのかと」
許攸「董太師のご批判とは、な、なんと畏れ多い」
董旻「構わん、ワシは弟じゃ。ここまで来られたのもワシの兵器部隊がよく働いたからであってな」
許攸「・・・・(ほう、私もこんな田舎で働くのは真っ平なのだ)」
董旻「ワシが精魂込めて火矢を作ってだな・・・あれをああしてこうして(ブツブツくどくど)」
許攸「・・・(使わせてもらうか)、董旻どのはご存じですかな?」
董旻「ん?なんのことじゃ?」
許攸「今の太守は董旻どのですが、新参の公孫度という者がここの太守になるというのを」
董旻「なんと・・・ではワシは異動か?」
許攸「いえ、そういうわけではないようで、そのまま公孫度の下でしょう」
董旻「むむむむ、ワシを馬鹿にするのもこれ以上は許せんぞ!」
許攸「・・・実は私はその公孫度とは旧知でしてな。どうやら彼は着任して造反するようなのです」
董旻「なんだと・・・?では、裏切り?」
許攸「そうです。私もここで終わるつもりはありません。董旻どのはいかがされます?」
董旻「・・・・わかった、やる、やってやる。兄にワシの本気を見せてやる!」
デデーン

どうなる?、と皆様に思っていただいたところで、容量の関係によりまた次回!
続きはもう出来ているので順次アップさせていただきます。今回も長々とおつきあい頂きありがとうございました。

今回の犠牲者 27人
  • 馬忠、孫朗、孫匡、樊氏、馬遵、卞喜(戦死)、楊修(戦死)、曹宇、宋謙、逢紀、陸績、夏侯尚、卑衍、婁圭、王濬、呉懿、韓当、祖茂、王粲、賈逵、施朔(戦死)、裴元紹、関寧、蒯越、麋竺、毌丘秀、帯来洞主

指名手配 7人
  • 賈充、毌丘秀(処断済)、公孫度、呂拠、王修、董旻、許攸、孫仲

新加入武将 7人
  • 賀斉、張郃、王双、魯粛、黄蓋、鮑隆、管亥

  • 董卓軍忠臣メンバー能力表の徐栄が徐英になってる -- 名無しさん (2011-07-23 16:56:32)
  • 冥府への送り手www 好きな武将の太史慈には裏切って欲しくない -- 名無しさん (2011-07-24 11:05:15)
  • 馬超よ~~~~ -- 名無しさん (2011-07-25 22:25:58)
  • 名族たる私がこんなところで -- 袁紹 (2011-07-25 23:37:31)
  • コメントありがとうございます。徐栄を修正しました。馬氏や袁氏など漢朝系の武将は董軍と相性最悪なので今回は泣く泣く斬っています…。 -- 董卓の日記著者 (2011-07-26 09:52:43)
  • 遅くなりましたが更新させていただきます。 -- 董卓の日記著者 (2011-09-27 11:21:39)
  • 乙です -- 名無しさん (2011-09-28 12:48:20)
  • これって味方の裏切りもあえてねらってます?それともトウタクだから? -- 名無しさん (2011-09-28 18:37:07)
  • 不用意に忠臣の誰かが轢き殺されて、郭汜「李傕ゥーー!!」みたいな展開キボン -- 名無しさん (2011-09-28 21:35:55)
  • コメントいただきありがとうございます。↑2の方、真の忠臣は裏切らないと信じ忠誠はほぼ放置してます。↑1の方、そうなったらなったで面白いですねー。忠臣は大事に育てていたのですが… -- 董卓の日記著者 (2011-09-30 01:02:28)
  • あと、恥ずかしながらCOMに白兵戦で負けましたw しかも騎兵同士の…w -- 董卓の日記著者 (2011-09-30 01:03:44)
  • 疾走は強すぎだ、とにかく森で逃げて闘うしかないですな!曹彰まじ最強っす -- 名無しさん (2011-10-02 19:38:13)
  • 忠臣の誰かが裏切っても銀英伝のロイエンタールみたいでおもしろいかも。 -- 名無しさん (2011-10-05 19:18:48)
  • トウタクと親愛設定されてる忠臣は無理だけど。 -- 名無しさん (2011-10-05 19:20:03)
  • 筆者もこのままいくと忠臣7人しか残らないんじゃないかと心配し始めました。最初に親愛設定しておいてよかった。だが董旻は兄弟なので親愛つけてなかったんですよね・・・ -- 董卓の日記著者 (2011-10-12 10:36:22)
  • ↑4の方へ。曹彰の疾走は強いですね、やはり私の胡軫の疾走より撹乱率が高いようです。でも出来ればこのメンツで森での殴り合いは避けたいです… -- 董卓の日記著者 (2011-10-12 10:41:09)
  • ここまでお付き合い頂きありがとうございます。最近は敗戦続きでまだまだ董卓軍の戦いは続くようです。次回もお付き合いいただければ幸いでございます。 -- 董卓の日記著者 (2011-10-12 10:43:14)
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