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書物という異界1:三途の川を溯ったらどうなるか

しりあがり寿
『真夜中の弥次さん喜多さん』(マガジンハウス)

 鬼才の漫画家しりあがり寿が,おなじみ『東海道中膝栗毛』の弥次さん喜多さんを使って,全く新しい世界を切り開いた。この続編ともいえる『弥次喜多in DEEP』(エンターブレイン)は朝日新聞社の第5回手塚治虫文化賞のマンガ優秀賞を受賞。
 春うららかなお江戸日本橋,仲睦まじく愛し合っている恋仲の弥次さんと喜多さんだが,実は喜多さん薬物中毒。そこで弥次さんは,喜多さんに薬をやめてもらい,二人が幸せになれるようにとお伊勢参りを提案する。ここから東海道を進む二人の長い旅が始まる。
 とは言っても,ふつうの道中ではない。それは夢と現,リアルと幻想が絡まり合い入れ替わる,魂の道行きなのである。幻想世界が現実世界に流れ込み,飲み込んでしまう。
 しりあがりは,意図的に現実世界と幻想世界をメービウスの環のように繋ぎ合わせることで,この二つの区別を無効化している。たとえば「駿府之宿」。この宿はプラモデルに満ちており,「本物」の宿屋の隣には1/1スケールのプラモデルの宿屋がある。ここでは「本物」という概念が茶化され,意味を奪われているのである。
 しかしまた,その掉尾を飾るのは「岡部之宿」であろう。丸子之宿で飲んだとろろ汁の痒みに耐えられなくなった喜多さんは,またしても薬に頼ろうとする。そして,それを制止しようとした弥次さんを図らずもエクスカリバーで刺し殺してしまう。志半ばで死んでしまった弥次さん,三途の川をわたるのはイヤ,しかし戻ることも叶わない。そこでどうしたかといえば,何と三途の川を遡ることに。そして奪衣婆に導かれて辿り着いた三途の川の源流,そこでは文字通り,生と死が表裏一体となってカーニヴァルを繰り広げている。ここは是非ご一読を。
 そしてここになって「旅」は,はっきりと再生・生まれ変わりという色調を帯びてくる。そもそも旅,巡礼といったものは,「<俗>なる共同体をはなれ<聖>なる霊地へとおもむくことによる,贖罪と復活の旅である。罪=穢れをまといつかせた受難の道ゆき(往路)と,いっさいの罪=穢れを祓いさったあとの蘇生の道のり(還路),巡礼の全行程がこうしたある種の通過儀礼のプロセスを踏んでいる」という(赤坂憲雄『異人論序説』,ちくま学芸文庫)。異界を巡る旅が,再生への道となっている。
 そして気づけばこの道中記を読む我々もまた,弥次さん喜多さんとともに,出口のない迷宮へと入り込み,方向感覚が麻痺してしまっている。しかしそれも実のところ,我々自身の再生への道行きなのではないか。このように,我々が「現実」と呼んでいるものを鋭く問いかけ,我々の生に新たな光を投げかけてくれるもの,それがまさに「異界」と呼ぶべきものなのではなかろうか。この漫画自体が勝れて強力なひとつの異界なのである。

『弥次喜多in DEEP』の方はさらに凄いことになっている。5巻から6巻にかけては,まさにグロテスク(grottesco)の極みで言語を絶するし,結末に向けた7巻・8巻も圧巻である(menocchio)
  

屑屋(管理人)

得意分野:エログロナンセンス
一言:トカトントンがきこえてくるよ。

狗蔵(居候)

得意分野:擬似社会学
一言:○○即仏道って便利な言葉ですよね。

menocchio

得意分野:カーニヴァル
一言:いまは一刻も早い燈籠大臣のお出ましを願うのみ。

カメ(首伸ばし)

得意分野:有職故実
一言:ラッキーと混沌が好きです

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