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通訳残留 6-③


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   ◇
 
「あっはっはっはっはwwww中二病ねえwwwwwww」
女店主さんの笑いが店内に響く。高笑いのように大きく高い声だ。
先ほど『クシャッ』としていた人が一瞬非難がましい目をこちらに向けたが、すぐまた本に目を戻すのが見えた。
店長さんの笑い声は、店の隅々にまで響いていたらしい
「君の友達ってさ。もしかして2chでもやってるんじゃないの?」
「はあ・・・」
「あそこの奴等はさ、叩くのが仕事みたいなもんだからwww気にしたら負けよwww」
つまりは人の意見より自分の感性を信じた方が生産的ってことね。本当に面白いと思える物を読みたいなら。
 
ほんの少しだけ顔に浮かべていた笑みを薄めて、彼女はそう締めくくる。
その手には査定が終わったばかり、売られたてホヤホヤの「空の境界」上下巻があった。
店主さんは器用にも分厚いその本の片方。上巻を、人差指と中指だけで掴んでタバコでも弄ぶようにフリフリと振っている。
「空の境界、空の境界、空の境界・・・・・・ねえ。ま、求める物の違いよね。面白いか否か、なんて。」
彼女は指の間の本を一定のリズムで振りながら、誰に向かって言うでもなく呟く。
どこか遠い目で彼女が空に放ったその言葉は、こちらがドキリとするような深い声で紡がれていた。
私がこの店に入ってから彼女が発したどの言葉にも無かった、体を震わせ胸の奥に直接届いてくるような響きをはらんでいる・・・
「ま、私はそれなりに楽しめたわよ?この本。」
ふいっ、と本を振る動きを止めてカウンターの上に置くと、今度ははっきりと私に向かってそう言ってきた。
「そ、そうですか、、、それは良かったです。」
私は、内心ホッとしながらそう返す。
先程女店主さんに促された私は、サトリさんと淡白な少女が「空の境界」を、はっきり『面白くない』と言ったこと。
そのせいで自分の感性はおかしいのではないか、と不安な心中を吐露した。
同僚君のことに関しては話していない。言っても意味はないと思うし、言ってしまってあれこれ詮索されるのも面倒だったから。
私の話に対して店主さんは、作品にはある程度の理解を示す形で応えてくれた。
彼女にまで『「空の境界」はつまらない』と言われるのではないかと、ドギマギしながら話していた私にとっては幾分救いになる反応であった。
「空の境界」を知っている人の中では、今日初めて肯定的な意見を言ってくれた。それは素直に嬉しかった。
 
「ま、現代は価値観が多様化してきているからねw
 お嬢さんと趣味の合う人がなかなか見つからないのはそのせいか。科学の発達の弊害、と言ったところねえ」
「?」
店主さんの言葉に私は首をかしげた。
『科学の発達の弊害』とはどういう事だろうか?
『価値観の多様化』というのはなんとなくわかる気もするけど、それが何故『科学の発達の弊害』になるのだろう?繋がりがいまいち掴めない。
気になったので彼女の心を読もうとする。
が、自分の湯呑から冷めたお茶をすする彼女は、私が心を読むより先に説明を始めてしまった。
口を開くのに合わせて、空の湯呑がカウンターの黒い板の上に接触する『コトリ』という音が聞こえた。
「ん、良く分からない?そうか。よろしい。ならば説明しよう。
良く言うでしょ?
地域共同体の崩壊、とか。昔は隣三軒両隣だったけど、今は隣で幼児虐待や家庭内暴力、果ては殺人事件なんかがあっても知らんぷりだ、とか。
あれさ、全部科学技術が発達したからなのよね。
科学技術が発達するって事はつまり、生きていくのが簡単になるって事。
トラクターやコンバインのおかげで食糧生産率は飛躍的に高まり、医療機器や医学の発達はかつての不治の病を風邪と同じ次元にまで貶めた。
自動車や飛行機なんかの輸送手段の発達は言わずもがな・・・ああ、そうそう。救急車なんかも人命救助に一役買ってるわね。それを呼ぶ電話も科学技術の賜物だし。
ただそうなると社会システムの発達も考えなけりゃいけない、か・・・
まあでも『電話』っていう機械機構がなかったらそもそも呼べない訳だし、どっこいどっこいの表裏一体だわね。こりゃ」
 
まいったまいった、なんて軽口を叩きながら彼女は、自分の話の中途で湧いた疑問を自分で解決してしまった。
話している店主さんは、一体いつ息継ぎをしているのか判らないような喋り方をしていた。
流れるように言葉を紡いでいるのは、学者が自らの考えをまとめるために独り言を言っているようにも見える。
このままスラスラと、息継ぎらしい行為を挟まずに最後まで行ってしまうかとも思ったがどうやら彼女にもそういう行為は必要だったらしい。
言葉を止めた店主さんはカウンターの上に手を伸ばし、湯呑のお茶に口をつける。
そうやって一口二口お茶を口に含んで湯呑を置くと、深く深く息を吐きだした。
体全体を落とすようにするそれは、座り続けて淀んだ体内の『気』を特殊な呼吸法によって正常化している、といった印象を抱かせる。
或いは、体内の毒素を吐き出している、といった方が分かりやすいかも知れない。
長い長い吐息を終えると、彼女は髪を手櫛で軽く梳き再び口を動かし始めた。
 
「さて、と。どこまで話したっけ?
・・・・・・あら、なんとも月並みな台詞を言っちゃったわね。ごめんなさいね?
ま。とにもかくにも・・・
人間は以前よりもこの世に命をつなぎ止めやすくなった。
するとどうなるか?ここで最初の村落共同体うんぬんに戻ってくる。
いい?『自然』という物の半分は、残酷さ非情さで出来ている。
弱肉強食ってあるでしょ?強きが弱きを喰らうって。あれの弱い者側にいるほうは悲惨でさ、ほとんど例外なく強い者に蹂躙されちゃうのね。
そこには一切の情けや善悪と言った庇護は存在しない。
人間はかつてそういった自然の掟から身内を守るために『社会』を生み出した。
まあ、その他の動物にも『社会』ってのは見られるから、人間に進化するもっと以前からの話なのかもしれないが。
とにもかくにも、だ。社会を守るには当然ながらルールが必要ね?
特に科学が今ほど発達していない時代には、彼ら自身の肉体に備わった力を勘定から外せば、実質的には社会の力だけで身を守っていたとも言える。
そうなると社会のを保つ『ルール』が強い拘束力を持つのは自然の成り行きってことね。
当然個々の人格よりもまず『家』や『ムラ』と言った人の群体の維持が優先される。
個人の勝手な事情に基づいた行動は許されないし、いざとなれば間引きや姥捨てのような非人道的な事も平然と行われる。
『隣三軒両隣り』なんて概念はそういうシステムの良い面に着目したに過ぎない。
裏には『個』がないがしろにされるという暗黒面が厳然として存在しているというわけ」
 
少し難しい単語を含んではいたが、彼女の話には納得できるところがあった。
よく『昔は良かった』とか『今は世の中が冷たくなった』なんて言う人がいるけど、反面昔の世の中は自由が極端に制限されていたイメージもある。
学校では日本史の時間に、村八分とか農村社会の暗く生々しい因習なんて話を先生が余談として語っていた。
『暖かい人々のつながり』も『個人の自由』を犠牲にした上ではじめて成り立つことなのだろう。
昔の世の中というのは失われたユートピアなどではなく、歴とした光陰両面を併せ持つ『現実』なのだ。
『つながり』と『自由』、どちらが尊いのかは、私には判断できない事ではあるけど。
 
「科学が発達すれば、そういった社会の力に頼らずとも生きていける。
当然人格を否定するようなルールは却下。人柱も生贄も科学の力があれば必要ない。
そしてその結果起こるのが価値観の多様化ね。
まあ当然と言えば当然か・・・昔は共同体を守る価値観以外は否定されていたけれど、その否定されていた部分がまるごと許容されるようになるんだから。
しかも面白い事が起こる。
即ち差別の差別。排除の排除。『他の価値観を認めない』価値観が認められなくなるのね」
 
―――?
妙な言い回しに一瞬頭の中が混乱する。
―――サベツノサベツ、ハイジョノハイジョ?・・・・・・・・・ああ、『差別の差別』、『排除の排除』ですか・・・・・・
彼女の放った発音を、ちゃんとした日本語として認識できなかった。
普通では聞かない様な言い回しに、それが自分の頭にある単語と同じモノなのか、一瞬疑ってしまったのだ。
それにしても『差別の差別』『排除の排除』『【ほかの価値観を認めない価値観】を認めなくなる』というのは深い言い方だ。
一体どういう意味が含まれているのだろう?
 
眼前では店主さんの話がまだ続けられていたが、私の思考はそこから離れてしまった。
自分の中で店主さんの言葉に対する考察が始まってしまい、彼女の話に注意が割けなくなってしまったのだ。
 
「数多ある考え方が認められるようになるわけだけど、その原則を崩す『特定の価値を認めない』という考え方だけは許されない。
価値観の許容は個人の自由とも言い換えられるけれども、つまりは他人の自由はいかなる理由があっても否定するのは適当では無くなってしまうのね。
他人への干渉は許されない。
ほら。だから隣人の幼児虐待は知らんぷりするべきなのよ。
赤ん坊を虐待することが罪でも、親には罪を犯す『自由』があるわけだから。
何はともあれ私達は科学の発達故に窮屈な決まりを守らなくても良くなった。
もはやムラの掟に縛られることは無いし、お国に忠義を尽くさない者が非国民呼ばわりされることもない。」
 
いけない。
店主さんの言葉に拘泥してしまった所為で、肝心の話を聴き逃してしまった。
彼女の話に再び注意を向けてみても、途中から聴いていなかったので何の話をしているのかよく分からなくなっている。
思えば、言葉の意味が解らなければ店主さんの心を読めばいいだけの話だった。
心を読めばすぐ疑問は解消されるし、これから彼女が何を言いたいかもわかるはずだ・・・
少し遅いかも知れなかったが私は彼女の心を読むことにした。
 ・・・・
 ・・・・・・
―――彼女は・・・・・・・・・『ルールを共有』・・・『優先事項』と言っています・・・・・
???
彼女が何を言おうとしているのか、私には全く分からなかった。
 
「考え方の多様化は必然ってことね。生きていくための『技術』があれば、生きていくための『ルール』は必要ないんだから。
たださ、今まで一つのルール、一つの考え方の下で生きていたうちは良かったのよ。
何がって?
相手の事が分かるんだもの。同じルールを共有し、各々の優先事項も共通している。
自分にとって大切な物は相手にとっても大切で、自分にとって要らない物は相手にとっても要らなくて。
人づきあいは自分の好悪を相手に当てはめればそれで良かったし、お互いに同じものを信じているっていう安心感もあった。
けどさ、価値観が多様化しちゃうとそうはいかないわよね。
何が大切か、なんて人それぞれになるんだし。
にとって好ましいと思える行動が、にとっては忌避すべき悪手だったりする。
そういう食い違いが起っちゃうってことね。
みんながみんな違う価値を持っちゃうと。」
 
目の前では尚も店主さんが話を続けている。
けれど残念ながら私にはもう、彼女が何を言っているのか全く分からなくなってしまっていた。
途中までは確かに着いていけたのだけれど、間で単語の意味を考えてしまった所為で、置いてかれてしまったのだ。
心を読んでも最早出てくる単語の意味が不明だし、ここまで来て『実は途中から訳が分からなくなってましたっ♪』なんて告げるのも店主さんに悪いような気がする。
結局私は
彼女の話を聴くのを諦めて
終わるまで、聴いているフリをしてやり過ごすことにした。
 
「そういったお互いの理解が難しい状況下でまともな共同体を維持しようとするなら、どこかしら自らの価値を否定・抑制して譲歩するしかない。
でもさ、ハナから簡単に捨てられるようなモノを価値とは言わないのよね。
信じるに足る、押し通すに足るからこそ人はその価値を認める。
だから、そう・・・本当に信じる価値を持っている人間っていうのは、程度の差こそあれ集団から浮いてしまいがちになる。
その価値を周囲の人間が理解してくれればいいが、そうでない者は悲惨ね。
自分の信じるモノを守るため理解しない周囲から孤立し、周りに流されて価値を見失わないよう強固な意思を持たなくちゃいけない。
『強固な意思』っていうと聞こえはいいけど、要するにそれは頑固に、攻撃的になりやすいってこと。
普通の人から乖離した常識や価値を持つ者ほどその傾向は強くなる。それを避けるにはやっぱり周囲の理解を得なくちゃいけない。」
 
私の視線は目の前の店主さんから離れて、ふらふらと無秩序に空を彷徨い始めた。
店主さんの居る方向からは「孤立」とか「頑固」とか「攻撃的」みたいな言葉が聞こえてくる。
どことなく同僚君の事を連想させるような単語を聞き流し、私はぼんやりと周辺の景色に目をやった。
・・・・・・いろいろな物が見える
カウンターの裏側に山と積まれたガラクタ―――灰色で巨大な黒目をしたありきたりな宇宙人が美女を抱いているDVDのカバーが目に入る。
カバーには、恋愛モノのようなフォントでタイトルが書かれていた。宇宙人と恋愛モノとは、内容が少し気になるところだ。
入口の扉にはまったガラス―――外は暗く中は明るいので、鏡の様に店内の様子を反映している。
『クシャッ』とした人はまだ店内にいたが、そこにもう一人。
重ね着した無地のTシャツの上に明るい茶系のジャケットを着た、付き合いやすそうな穏やかな顔つきの青年が加わっていた。
私がこの店に入ってから他に誰かが来た覚えはないから、きっと来店前からいたのだろう。
落ち着いた髪型をした彼は、本棚の前で立ち読みをしながら、時折チラチラとこちらに視線を向けてくる。
彼女の話に興味でもあるのだろうか?
 
―――いい加減・・・見る物が無くなってきました・・・
心の中で呟く。
本当は、探せばもっと面白い物が見つかるとは思う。
けど―――――そろそろ椅子から立ち上がって家に帰りたくなってきた。
ただ店主さんの話はまだ続いているから、勝手に立ち去るのも途中で遮るのも忍びなくて出来ない。
―――立ち上がりたいけど立ち上がってはいけないので、座りたくもないのに席に着いている。
―――でも座らないといけない。早く立ち去りたい。早く話を終わらせて下さい。
そんな風にそわそわと落ち着かない気持ちだから、店内の風景に意識を向けるという行為さえもおっくうに感じてしまう。
頑張って何かに注意を向ければ、時間はすぐに過ぎ去ってくれるのに、それをする意思が湧かない。
結局そわそわした気分から逃れられず、座り続ける状況にうんざりとしてくる。
全く我ながら始末に負えないと思う。
 
そんな自嘲気味な気分のせいか、視線がだんだんと上に向いていった。
ふと、天井の蛍光灯が目につく。
学校の天井にあるのと同じ白色灯が二本。うちっぱなしのコンクリートに似た天井で輝いている
チカチカと点滅しながら光を放っていた。
―――点滅?
そう言えば中学時代の理科の時間。先生が、蛍光灯は知覚出来ない速度で点滅していると言っていた気がする。
だとすれば、あんな知覚できるような明滅、というのは何かがおかしい証拠なのではないだろうか?
そう思って見つめると、明るさは申し分ないのだけど、やはりどこか不健全な印象を受ける。
―――代えた方が・・・良いのでしょうか?
 
「ま、つまり科学は物質的な願いを叶えたけど、イコール幸せな世界が訪れたかって言うとそうじゃないって話ね。
禍福はあざなえる縄のごとし。単純に願望を叶えれば幸せになれるわけじゃないってこと。
―――わかったかしら?」
「はあ・・・それより蛍光灯の調子がおかしいみたいです・・・早めに代えた方がよろしいのでは?
今の時期は日が落ちるのが早いので、点かなくなるとなにかと不便です」
 
・・・・・・・・沈黙。
 
話を終えてニコリとこちらを向いた店主さんだったが、私の反応で笑顔がポロリと顔から落ちてしまった。
あとに残った無表情で、しばし無言のままこちらを見る。
私も何を言ったら良いか分からず、同じく無言で店主さんを見つめ返す。
一秒、二秒、三秒、四秒、五秒
店内の振り子時計の音のおかげで、時間の経過をうかがい知れた。もし何も無かったらもっと時間を多めに数えていたかもしれない。
とにもかくにも5秒間、私達は無言で見つめ合い――――
「ほら、やっぱり誰が聞いてもつまらないんですってw」
「うっさいわ!」
さっきからこちらを伺い見ていた青年の声と、それに間を置かず反射的に応えた店主さんの声によって沈黙は終わりを迎えた。
どうも店主さんとジャケットの青年は顔見知りだったらしい。